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若本修治の住宅コラム

2021.3.20 第173話

災害復興は、自立するコミュニティづくりから

東日本大震災からちょうど10年。この10年間は、熊本地震や北関東の鬼怒川の河川氾濫、九州北部を襲った水害から関西空港や千葉県を直撃した巨大台風、ブラックアウトを経験した北海道胆振東部地震のほか、ここ広島でも多大な犠牲者を出した広島土砂災害や西日本豪雨も経験した。それ以後も、信州の千曲川、熊本の球磨川の堤防決壊による浸水被害など、自衛隊の出動を伴うような広域の激甚災害が日本全国で続いている。特に人口減少と高齢化が進む過疎地の甚大な被害は、災害からの復興スピードや計画内容によっては、地域の存続が危ぶまれるほど、人口流出と地域の衰退を加速化させたようだ。

 

東日本大震災に関しては、震災翌年の2012年6月に岩手県の住田町、陸前高田市を視察し、その後2014年には宮城県で『住宅CMサービス仙台』もスタートしたため、名取市など仙台市近郊の被災地は何度か訪ねて、自分の目で被災から復興の様子も見ることが出来た。毎年3月になると、報道番組でも復興の様子を特集で放送するので、津波防潮堤や土地の嵩上げ、住宅の高台移転や仮設住宅から「災害公営住宅」に移った人たちの取材を目にするが、私は残念な気持ちのほうが膨らむばかりだ。特に津波にあった沿岸部の復興は『DID』という“中心市街地の人口密度”で評価する基準を設け、政府や自治体はイオンのショッピングセンターや中高層のマンション建築を誘導、震災前よりも「コンパクトな街になった」と、復興の成功例として紹介されている様子を見て唖然とした。

仙台空港アクセス線の車窓から、復興する沿線を撮った2014年10月の名取市近郊の写真

 

マンションや商業施設の建設は、域外のゼネコンに発注され、テナントも大型商業施設の出店料に見合う賃料負担の出来る企業に限られるから、その多くは他の地域からの新規出店となる。仙台や盛岡などの都市圏と同様な買い物ができると喜ぶかも知れないが、消費者として使うそのお金は、地元の商店の売上や雇用に繋がって地元を循環することなく、利益も外に流出して戻っては来ない。分譲マンションも同様に、長期の住宅ローンを支払うことの出来る比較的余裕のある人達の稼いだお金が、百万円単位で毎年地域の外に流出していくのを約束するのが、分譲マンションの売買契約であり住宅ローンの金消契約だ。

 

地域のコミュニティを重視した低層の住宅地づくり

 

元々津波被害の大きかった三陸地方は、平地が少なく建物は密集して、地元の人達は顔の見える関係だった。広い空き地はほとんどなく、道路幅員もそれほど広くなかったことから、中高層の分譲マンションが建てられることもなく、デベロッパーも大都市圏でしか商売をしていなかった。しかし復興の名のもとに、まっさらな土地に主要な幹線道路を計画し、仙台方面からの高速道路網も整備して、商業用地や住宅用地も広い街区を用意した。すべての建物は撤去、住民は移転し、嵩上げしたこともあって、長年地元に住んでいた人たちでさえ景色が変わり、自分の家やお店がどこにあったのか分からなくなってしまった。移転を伴う区画整理・復興事業なので、経済力のある人達は高台や別の利便性の高い都市に新しい家を建て、更地になった新しい分譲地に戻って家を再建する人達は半数もいないという。

 

元々先祖代々から受け継いだ土地に住んでいた人達は、お金を出して土地を買った経験もなかっただろう。造成費や水道などのインフラは公費で整備するとしても、新たに土地代を負担して、新築住宅を建てるだけの経済力確保は、震災や津波被害に遭わずに蓄えがあったとしても困難だったことは想像に難くない。ましてや建物を無くした被災者には厳しいことは震災直後から想像はついたはずだ。私は、街区ごとに低層のタウンハウスを計画し、共有庭(コモンガーデン)を設けて、ヨーロッパの社会住宅のように豊かな街並みづくりも出来たのではないかと思う。100年以上前にベルリンでドイツ人建築家のブルーノ・タウトが設計した集合住宅は、社会住宅として今でも現役で人が住み、ユネスコの世界文化遺産に登録されるほど、地元の人達に愛され地域の景観をつくっている好例だ。彼は、その後日本に移住し、日本人女性と結婚して国内でもいくつかの建築作品を残している。造成地を被災した人達に売却するのではなく、国や自治体が所有し、英国やフィンランドのように「リースホールド」で長期の土地賃貸借契約で貸せば、経済的負担は大きく低減し、コミュニティは再生できて、ヨーロッパのような建物の高さが揃った美しい街並みが出来た可能性があった。

もはや東北では手遅れではあっても、今後の選択肢として当社は『英国式リースホールド』として仕組みづくりをし、このたびホームページも公開した。災害からの復興だけでなく、人口減少が進む地方都市、商業施設や工場などが撤退し、空き地が増加する衰退地域に、新しいコミュニティと美しい街並みをつくっていくことに寄与したい。

●サイト『賢い都市型土地活用

 

ダブルスネットワーク株式会社 代表取締役 若本 修治(中小企業診断士)

ドイツ南西部の地方都市フライブルク市のヴォーバン住宅地。戦後フランス軍に接収されていた軍用地が、環境重視の新しい住宅地として蘇った事例。多様性のあるコミュニティと一般車両の進入を抑制した歩行者・自転車優先の街路が、元気な子供たちを育てる空間にもなっている。

ドイツ南西部の地方都市フライブルク市のヴォーバン住宅地。戦後フランス軍に接収されていた軍用地が、環境重視の新しい住宅地として蘇った事例。
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