第18話  ブランド住宅

グルニエ、パルフェ、ハートレイ、GODAI、GENIUS、フレックス、ステートメントウィズ・・。住宅展示場めぐりをした人は、何のことか分かるかもしれない。そう、大手ハウスメーカーがつけている住宅のブランド名だ。

住宅にブランド名がつきはじめたのは、昭和34年10月に大和ハウス工業から発売された「ミゼットハウス」からだろう。その後も積水ハウスのA型やミサワホームで大ヒットしたO型など、「ブランド」というよりも、当時は工業製品としての型式という意味合いが強かったようだ。

今の中高年には「プレファブリケーション(プレハブ)住宅」というのは、工事現場の仮設住宅というイメージが強く、とても住宅とは考えにくいものだった。実際に昭和四十年代のものは断熱材らしいものはなかった。だから構造材である軽量鉄骨が壁内部で錆びて腐食するなど、とても終の棲家といえるシロモノではないことは、ほとんどの人が知っていた。

日本の住宅の耐用年数が27年程度しかないということはご存知だろうか。大手ハウスメーカーと建売住宅が貢献したことは間違いない。また、シックハウスや欠陥住宅、住宅ローン破産などの社会問題も、建築には関心の低い「儲け」のみを狙った業者が増えたことが原因のひとつと考えられる。がしかし「売るため」「儲けるため」にはモデルハウスとブランド戦略が有効だったため、資本力の乏しい技術系の工務店には不遇の時代が長く続いた。

私が建築学科の学生だった昭和50年代後半、大学で建築を学ぶ学生は、ほとんど設計事務所やゼネコンに就職した。建築を学んだ学生の就職先として、ハウスメーカーは恐らく選択肢にも入っていなかっただろう。それがいつの間にか大手ゼネコンをも超える1兆円企業が2社もでき、巨大産業となってしまった。

最近では、県内を商圏としつつもハウスメーカーと同様に展示場を持ち営業マンを抱えた、住宅ビルダーといわれる住宅会社も、展示場にブランド名をつけている。地場の工務店までも、建材メーカーや住宅フランチャイズに勧誘されて、ブランド名をつけた住宅をPRしている。

私はそんな状況を不思議な気持ちで見ている。一体、住宅にブランド名が必要なのであろうか?ブランドごとに豪華なカタログを揃え、お客様を惑わしてはいるものの、実際そのブランド名の建物を実際の住宅地で見ると、カタログとは似て非なる住宅を見ることは少なくない。

以前、サッポロビールの支店長に話を伺ったときのことである。ビール業界ではライバル企業の支店長同士会合を持つことがあるが、ある会合で4社のビールの銘柄を当てるというゲームをした。結果、それぞれ自分の会社のビールだけは分かったが、他社のものは社名も当たらなかったという話だ。ハウスメーカーの家も、自社の商品ならば分かるが、どれほど他社商品を当てることができるだろうか?おそらくメーカー名も間違ってしまうのがオチだろう。

「FPの家」や「OMソーラーハウス」など、フランチャイズチェーンの開発した住宅工法であれば、他の工法と区別するための商標は必要であろう。また、「いつかはクラウン」といったように、車ではブランド名がステータスを感じることがあろう。しかし、例えば「私はセントレージに住んでいる」とか「こんどはサンフォレスタに住みたい」と自慢する人を私は一度も聞いたことがない。聞くのはメーカー名だけだ。

売り手の都合でしかなく、しかもコストアップにもつながっている「ブランド住宅」はそろそろやめにしたらどうだろうか。お客様ではなく広告代理店だけを潤わせているような気さえする。むしろ、「西岡棟梁が手掛けた」とか、「安藤忠雄が設計した」といった、プロの知恵と技が詰まった建物がいい。たとえ名もない職人でもプロ意識を持って建てられた住宅は、ブランド住宅の薄っぺらな価値とは比べ物にならないほどその価値は高いのではないだろうか。

名のない職人たちにそのプライドを持たせることも、施主の愉しみかもしれない。
中村外二(故人)など、京都の名のある大工や職人は、やはり京のだんな衆が育てている。ブランドよりもむしろ家づくりに携わった人たちと家族との物語がつくれるような、そんな家づくりがあってもよい。

西風新都にある、プレハブ住宅だけを集めた展示場「アストモ」
ここに限らず、多くの住宅展示場でテナントの撤退が増えてきており、展示場で集客し住宅を販売するというスタイルが終わりつつあるようだ。
  cover
「宮大工千年の知恵」
松浦昭次著<祥伝社>
一般には名の知られていない、棟梁や大工によって、この国の住文化や技術が継承されてきた。

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