第49話 エンジニアとアーティスト
2003.10.27

●各大手ハウスメーカーが最近建てた住宅。
全て違うメーカーだが、お分かりだろうか?

広島は、マツダを始めとした製造業の企業城下町だ。だから家を建てる人も製造業(下請け部品メーカーも含む)に務めている方が比較的多い。『エンジニア』といわれる人たちだ。造る側だけでなく、機械設計や設備設計を手掛けている人たちもやはりエンジニアだ。

エンジニアは、自分が「創りたい」ものをつくるのではなく、さまざまな制約がある中で、与えられた課題を形作っていく技術者である。その制約はコストであったり、大きさであったり、規制であったりするが、その条件をクリアしていくことで、技術の進歩もある。

彼らのつくるモノは、自分自身が売ったり、消費者に直接説明する機会はほとんどない。だから、開発者や技術者の説明がなくても、お客が購入したくなるような「商品としての魅力」や「価格」「売り場の演出」「製品の信頼度」などをつくり上げていかなければならない。

一方、住宅業界で考えてみるとどうだろうか?
確かに、建築基準法の改正や競争の激化で制約はますます大きくなっている。しかし、エンジニアの意識を持った人がどれほどいるか甚だ疑問だ。本当に技術レベルを上げ「エンジニア」として家づくりに携わっているのは、少数の工務店経営者と一部の設計者だけだろう。

機械や設備設計は「エンジニア」であるが、建築設計は一般的に「アーティスト」だ。エンジニアは自分のことを「機械設計家」とは言わないが、設計士は自らを「建築家」と名乗っている。その多くは、「先生」と呼ばれることを好み、自分が「創りたい」ものを、一般消費者のお金を使ってつくっている。消費者(お客)が「造りたい」ものは二の次で、彼らがマスコミに取り上げられ、名声や新たな施主を得られることが優先される。
彼らは製造業のエンジニアと違って、直接消費者を説得する手段を持っているから、自分が「創りたいもの」への誘導も簡単だ。

大局的に見ると、日本の住宅業界をダメにしたのは、アーティストを気取った建築士たちではないかと私は思う。それは日本の建築教育の間違いから来ている。建築業界では、エンジニアはブルーカラー(労働者)で、先生(建築家)はアーティストというイメージがついている。

アーティストだから、技術や工事現場のことはおざなりで「作品」をつくっていたが、お客からのクレームが増えてくると、「我々建築家が第三者として監理しない物件は潜在的に欠陥住宅になりやすい」と訴えている。あたかも本来自分たちの業務ではない範囲までカバーするようになったといわんばかりだ。しかし、当然設計士がすべきことをしていなかったから、バラバラな街並みや欠陥住宅の増加、無個性なハウスメーカーの家が建ち並ぶようになってしまった。

徒弟制度があった時代は、資格試験はなくても、体で覚えた技術を、身をもって教える棟梁や親方の存在があった。だから建物自体に無理な負荷が掛かるような、維持管理が困難な建物は建てさせなかった。なるべく地域で採取できる材料で地域を良く知った職人たちが、地域の環境や街並みにあった家を造っていた。

欧米の街並みが美しく見えるのは、そして飛騨の合掌造りが美しいのは、街並みが統一されているからだ。どのメーカーの住宅か、見分けのつかない大手ハウスメーカーのモノトーンの住宅が並ぶのも論外だが、個性を競ったバラバラな街並みは、個々の建物をいかに著名なアーティストがデザインしても決して美しい街並みにはならない。

しかし、大手ハウスメーカーまでアーティストを客寄せの道具として利用し、それと分かって加担している自称「建築家」が増えているのはどうしたことだろう。彼らが否定し続けていたハウスメーカーの家でさえ、自分の名声を得ることに利用しようとしているのか?
「名を売る」ことよりも「技術を極めよう」とするエンジニアとはこのあたりにも差があるようだ。また、「エンジニア」は、コストや生産工程、業務の効率化に対してもシビアさを求められるが、「アーティスト」は、コストや業務の効率化よりも、自分の創りたいものに打ち込む。

あなたが選ぶのだったら、アーティスト派?それともエンジニア派?...

この違いが分からなければ、あなたは「メーカー名」だけに数百万円支払うハメになるかも知れません。

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