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若本修治の住宅コラム

2014.9.20 第100話

バッファゾーンで災害を緩和する都市づくり

私が住む広島では、今夏ゲリラ豪雨による「同時多発的」な土石流災害によって、郊外に開発された山裾の住宅地が壊滅的な土砂災害に見舞われた。15年前に同じく広島市周辺で起きた土砂災害を教訓として、同様な事故を減らすために『土砂災害防止法』を制定したものの、前回の死者をはるかに超える70名以上の犠牲者を出してしまった。犠牲者の中には、15年前の豪雨で広島市の都市防災担当部署に所属し、実務担当者として法律制定に向けて国交省との窓口になっていた道路交通局部長も含まれていた。

 

人的被害が大きくなった背景に、実際に土石流が発生したエリアにも関わらず『土砂災害危険区域』に指定されていなかった地域が7割もあったということ。地価が下がるということを懸念して、地元住民が危険地域に指定されることに否定的で、行政も住民の意向を無視できなかったことで多くの住民が「危険だ」という認識を持っていなかった。その後も新しい住宅やアパートが建ち、結果的に被害を大きくしてしまった感は拭えない。

 

「コンパクトシティ化」への大義名分

 

広島市もご多分に漏れず、人口の増加がストップし、昭和40年代から郊外の高台に開発された住宅団地も高齢化や老朽化が進み、空き家の増加が社会問題化しつつある。行政も郊外の団地の問題だけでなく、将来見込まれる税収不足から、インフラの維持・管理コストが将来の財政を圧迫することが容易に予想されている。そのため、出来るだけ郊外から都市中心部に集まって住んでもらう『コンパクトシティ』構想を掲げ「都市の密度を高める」政策を進めようとしている。しかしながら実態は、民間企業による団地開発や住宅供給という「経済活動」に規制を掛けられず、今回土砂災害に見舞われた山裾だけでなく、さらに高台の山を削って、新しい宅地開発が行われているのが実態だ。

 

民有地、個人の所有する土地に規制を行うのは、公共の福祉に寄与するという大義名分が必要だ。単に「コンパクトシティ化を進めるため」では、通常なかなか住民は納得しない。しかし広島市では昭和に入って区画整理以外の災害防止のために2つの大きな立ち退きが行われている。1つは頻繁に氾濫していた太田川の治水のために行われた『太田川放水路』。そしてもう1つは原爆投下後の復興で火災延焼を防ぐ目的で100mの緑地を設けた『平和大通り』。元々土地を所有していた住民からは大反対されたものの、今や平和大通りは広島の都市景観になくてはならぬものとなり、太田川放水路も含めて存在を否定する人はいない。災害から人を守る『バッファゾーン』という存在が、都市に水や緑を提供し、特長ある都市景観を形成している。

 

巨大な自然災害に対して人命被害を最小限に食い止めるため、緩衝地帯としてグリーンベルトなどで建物の建築を禁止するエリアを『バッファゾーン』として定めると、大きな土石流が発生しても、物理的に被害を緩和することが可能だ。周辺の住民の目が届きにくいような住宅地で、大きな開口部を設けながら防犯対策をするのと同様、犯罪者や自然災害は人が考えた「小手先の対策」などは悠々と乗り越え、想定外の被害を与えるのが世の常だ。だからこそ、災害防止のためにさらなる砂防ダムの建設などのインフラ投資をせず、人口減少時代を踏まえた対策が望まれる。

 

ドイツなどに行くとクラインガルテン(市民農園)やビオトープが都市近郊に設けられ、市民の憩いと共に自動車の騒音や排気ガスなどの都市問題を緩和している。そして、「都心部の低層高密度な住宅供給」によって土地の資産価値を高め、郊外に緑地を増やしている。災害は今の日本の都市に多くの「課題解決の機会」を提供しているようだ。

安佐南区八木8丁目の土砂災害復旧現場の写真。被災から数日後に、高校生の息子と家屋の泥出しのボランティアに向かい目にした光景。右側の石に見える塊は、よく見ると「コンクリートの塊」で、古い砂防ダムが崩落して転げ落ちてきたことが分かった。

被災地の対岸からみた写真。多くの沢に沿って土石流が流れた跡が生々しく残っている。
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