2012.11.20 第78話
原発再稼働問題は、「コンパクトシティ」をつくる契機に!
昨年発生した東日本大震災では、東京電力管内で電力需要がひっ迫し、計画停電が行われた。震災後1年以上経過するというのに、今夏は関西電力が電力不足に陥り、大飯原発の再稼働がなければ大停電のリスクや電力使用制限令が出される可能性があるという。関西電力の需給見込みと政府が出した全電力会社の電力需要予測に対して、大阪市の橋下市長や近隣自治体の知事をはじめ、マスコミから「原発稼働させたいがためのデータねつ造だ」との批判が渦巻いている。「再稼働は容認できない!」の大合唱だ。
しかし電力は安定供給が大前提。ピーク時に不足して停電になるリスクは避けなければならないというのは、皆の共通認識。リスクを「過大に見積もる」必要はないが、やはり「安全側」に見積もるのが供給側(電力会社)の責務だ。
「暑さが一昨年ほどでもなく、皆が節電に協力してくれ、周辺の電力会社もこの程度は融通してくれて・・」と希望的観測を並べ、「何とか大停電が起こらずに済みそうです!」という『安心宣言』をしたとしたら、地震や津波を過小評価して対策を怠った原発事故と大差ない。
原発再稼働の問題は、今後も福島第一原発のような事故が起こるかも知れないということ。しかし、逆に考えれば原発の耐用年数に至るまで、巨大地震や巨大津波は来ないかも知れない。仮に来たとしても、建物に大きな損傷は与えないかも知れない。そして、建物に大きな損傷があっても、炉心溶融までの大事故になる可能性は極めて低い・・・。また万が一、福島のような事故となった時に、広島に投下された原爆のように、瞬時に数万人の命が奪われるという状況にはまずならない。むしろ福島第一原発の4号機のように稼働停止していても『使用済み燃料プール』が危険だということであれば、全原発を停止してももう安全はない。すでに「パンドラの箱は空けてしまった」ということだ。
これまでは、安全神話で「事故は起こらない」「事故を起こさない」前提で原発の稼働をし、今も「ストレステスト」なる個々の原発の安全性について評価をしている。しかし「万が一事故が発生した時の対策とその後の補償」をしっかりとすることのほうが重要だ。事故が起こる前提で考えていけば、「避難経路の確保」や「放射能汚染の予測データの透明化」「事故後の近隣住民への補償」など、平時に準備できる。最悪、苦渋の選択で「故郷を捨てる」ことも冷静な時に話し合い、次善の策を講じておくことも必要だ。
そもそも原発立地は、県庁所在地の松江市に近い中国電力の島根原発を除いて、人里離れた過疎地につくられている。瀬戸内海の島で育った私を含めて過疎地で生まれ育った人たちの多くは、今は故郷から離れ都会暮らしをしている。ほとんどの人は祖先の供養はしても自ら故郷に戻ることは考えていない。つまり「故郷を捨てている」のと同じだ。
個々の原発に関して安全性を高める投資をすることも必要だが、全国の電力会社が事故に備えて「基金」を積み立て、万が一発生した大事故に対して避難や住み替えの補償を十分に行う。今のように匿名で不透明な対策費を配って、過疎地に不釣り合いな公共施設を建てるより、基金の透明化、使途の明確化をしたほうが、周辺自治体や住民にとっても安心感があるだろう。その基金は百年間使うことがないかも知れない。施設のように管理費さえ掛からないのだ。
SFで、エイリアンが故郷の星から新たな環境を求めて地球にやってくるという映画が良くある。今の原発の立地を考えれば、仮に大事故が起こっても人口密度が低く、日本の経済力で新しい居住地を用意するコストも十分負担可能だ。しかもそのコストは使わない可能性のほうが高い。原発の耐用年数である40~60年の間に、原発に依存しないコンパクトな都市や街を実現することも十分可能だ。