2018.3.20 第141話
数字重視で「復興」を評価する危うさ
東日本大震災から7年が経ち、テレビ局や新聞社も各社が特集で追悼報道を組んでいた。その中で、津波被害の大きかった三陸海岸沿岸の市町の復興の様子も伝えられていた。特に釜石市や気仙沼市、石巻市など、三陸海岸の中心となる市の中心市街地が、震災前よりも人口密度が高まり、活気が戻っているという記事が日経新聞の3月11日のトップ記事を飾っていた。データとしてはDIDと呼ばれる“人口集中地区”の人口密度が指標となっている。
この「DID」という指標が高い都市を『コンパクトシティ』と呼び、震災前から人口減少や過疎化が進む地方都市が取り組むべき重要課題として位置づけられていた。全国の成功例として富山市や青森市が紹介され、財政破たんした北海道の夕張市も、この数値を再生の目標の一つとして取り組んでいる。郊外へのスプロール化を抑制し、また限界集落に住む人たちに、出来るだけ近郊や中心部に集まって住んでもらおうと、行政が主体となって働き掛けている。
住宅の高層化と複合ビル建設が復興の象徴?
新聞記事を読むと、中心部の人口密度が高くなった理由は、自治体が建設した『復興住宅(災害公営住宅)』の高層化と、商業の核として誘致した大規模ショッピングセンターの営業開始により、人々が中心市街地に戻ってきたということだ。元々震災前から中心市街地の商店街は「シャッター通り」になっていた。津波に流された自宅や店舗を自力で再生するには資金的にも厳しく、例え商店街が再生できたとしても、後継ぎも含め経営は容易ではない。自治体の選択は、横に広がっていた地元住民の居住エリアを、縦にすることで住民一人当たりの住居費負担を減らした。そして空いた土地に広い駐車場を完備したショッピングセンターや公共・業務施設を誘致することで、生活の不便さも解消できる一石二鳥のアイディアだと考えたのだろう。数字的にもDIDが高まる。
一方、テレビ局の取材で、このような高層化された復興住宅に入居する住民は、多くが仮設住宅から転居してきた人たちで、過半数が50歳以上。震災以降の関連死も含めて一人暮らしになってしまった独居老人も多く、仮設住宅で出来た友人関係や、ボランティアスタッフに助けられた楽しい想い出が、却って今、孤独さを際立たせていた。復興住宅脇に用意された児童公園で遊ぶ子供たちはおらず、新たにつくられた自治会の役員も、中高年で非正規の雇用で食いつないでいると紹介されていた。数年で家賃補助が減額され、生活が苦しくなるのは明らかなのに、自分たちではどうすることも出来ないもどかしさを抱えての再出発だ。
正社員として元気に働ける人たちは、すでに高台に開発された新しい分譲地で新築を建てて住んでいる。二重ローンを抱えても、希望を持って返済している人たちも多いだろう。しかし高層化した復興住宅や、真新しいショッピングセンターといった“見た目には復興した街”が、実際にその地域に住んでいる住民にスポットをあててみると、大きなギャップが見えて来る。DIDが目指す『コンパクトシティ』は、 “町の持続可能性”こそが本来の目的であって、都市景観よりも住民が主体となるべきだろう。
建物の高層化や大型商業施設の誘致は、現実的にはその建設費だけでなく、ショッピングセンターオープン後も、その多くが大都市圏の大企業に流れていく。下請けや非正規の雇用は発生したとしても、地元の人たちが働いて稼いだお金は、ほとんど地域内を循環することなく、県外に流出していくだろう。さらに復興住宅の入居者が高齢化し、中心部の人口減少が進めば、県外から出店してきた核テナントや専門店の出店者は、採算が合わなければ簡単に撤退する。地元愛も雇用を守る気概や責任も持たない企業を誘致したことに気づいたころには、すでに町は衰退しているだろう。
数十年後に、巨大な建物が廃墟のように残った震災復興の街を想像したくないが、本来の復興は国や大企業に頼るのは資金面だけにして、地元の人たちが気概を持って自らの街の復興と雇用創出、歴史ある町の景色を再生してもらうことで、本当の意味での”町の持続可能性”が生まれるのではないかと思う。これは東日本大震災の復興だけの話ではなく、すべての地方に言えることではないだろうか?