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若本修治の住宅コラム

2018.12.20 第150話

郊外団地崩壊のメカニズムと、住民が住み続けられる団地の条件

前回のコラムでは、英国の田園都市に影響を受けた大正時代の日本の住宅地開発が、都心への通勤を前提とした“寝るだけのベッドタウン”として、生産施設などの雇用の場がない単一の居住地域を郊外につくっていったことを紹介した。いわゆる『ニュータウン』と呼ばれる街で、住人が高齢化し定年退職して通勤や通学する人たちが減ってくると、まずはバスなどの公共交通利用が先細りしてくる。その後年金暮らしの人たちが増えると、建物の維持管理にも費用が掛けられず、子供たちは独立し別の所帯を設けて、伴侶も亡くなる頃には、独居老人の割合が増え、次第に空き家も増加していく。ちょうど高度成長期の昭和四十年代に開発された大型団地が今、そのような状態になりつつあり、しかも“同時多発的に発生”しているから問題は大きくなってくる。同一世代が同時期に大量入居しているからだ。

 

ニュータウンは、地域住民の“買い物の利便性”は必須条件になるため、宅地開発時に『商業用地』を確保し、大規模小売店舗用のテナントビルと駐車場を用意して食品スーパーや生活密着型店舗を誘致する。その多くは地元(県内)企業だ。開発当初は住民が少なく経営は苦しいものの、入居者が増加してくると次第にお店は賑わってくるようになる。しかしニュータウンは既成市街地から離れた郊外に新しく造られたベッドタウンなので、団地の人口が増え通勤等で交通量が増えるほど、都心までのロードサイドに郊外型の大型店が次々と出店してくる。その多くは全国チェーンの複合型量販店で、買い物だけでなくシネマコンプレックスなどアミューズメント型店舗も出店してくるから広域で集客できる。ニュータウンの食品スーパーよりも安くて多品種の品揃えも可能なので、次第に団地のお客さんを奪っていった。

 

画像は廿日市市のニュータウン『四季が丘』団地で閉鎖されたショッピングセンター。

1980年代に宅地開発がスタートし現在約6千人の住民が暮らすベッドタウンだが、1989年に核テナントとして出店したスーパーがオープンからわずか23年で撤退し、その後地元住民主導でコンビニ出店も検討したものの、空きテナントのまま建物の老朽化が進んでいる。

郊外団地よりも都心寄りに出来たロードサイドの大型商業施設周辺も宅地化され、多くの建売住宅やアパートが建ち並び、相対的に郊外の大型団地の不動産価値が下がっていった。そんな状況が顕著になったのが、2000年代が始まってから現在までの全国の地方都市の状況だろう。それまでの『大規模小売店舗法』という出店規制から『大規模小売店舗立地法』に緩和された時期とも一致する。ちなみに団地の不動産価値が下がり、固定資産税収入も減っていく「損失」の負担は地元の住民や自治体であり、大型商業施設の経営やアパート建築の多くは県外の大手企業が担うから、その消費は巨大な額となって県外に流出していく。法人税収はほとんど地元に落ちず、業績悪化で簡単に撤退していくのが県外企業だ。行政も政治家もほとんどこのことに気づかず、日本中の地方が人口減少以外の「衰退要因」を見逃しているのが現状だろう。

 

団地住民の高齢化と収入の低下は、地域での購買力の低下に繋がり、子供たちも卒業して自宅を出ると、いよいよ地域密着型のお店、食品スーパーなども経営が悪化してきて出店の維持が困難になってくる。品揃えが悪く、しかも安くないとしたら、まだ車が利用できる世代の住民は品揃えのいい広域型の大型店舗利用にシフトしていくから、郊外の大型団地の買い物事情やパート採用などの雇用状況はさらに悪化への悪循環を繰り返していく。古い住民の多くは後期高齢者になり、車の運転が困難になって買い物難民化するのが今後のシナリオだろう。これはすでに始まっている未来であり、現在分譲中の大型団地の未来の姿も、残念ながら概ね変わらないだろう。繰り返すが、損失の負担は地元民であり地元企業で、最終的に地元自治体が空き家対策やインフラ維持のために税金を投入する構図だ。

 

上記のような状態を放置していて、地方創生や東京一極集中を是正することなど出来ないのではないだろうか?

 

生物も街も、「多様性」と絶えざる「新陳代謝」が長寿命の秘訣

 

生物が厳しい環境変化に耐えて生きながらえるには、細胞レベルの新陳代謝が欠かせない。見た目に変化がなくても、常に細胞分裂し、新しく細胞が生まれ変わっていく。新陳代謝が終わる時、生き物としての寿命を終える。団地などの街も同じで、街の持続可能性を高めるためには、見た目にはそれほど変化がなくても、新陳代謝が常に行われる状態が望ましい。それは劣化した外壁のメンテナンスであったり、入居者の入れ替えによる中古住宅の売買だったり、商業や業務施設のテナントの入退去といったことが、街の新陳代謝に繋がり、街の寿命を延ばすことに直結する。欧米の街並みが調和のある美しさで、中古住宅の流通が多く、不動産の資産価値が高まっているのも、単一用途のベッドタウンではなく、職住近接の街をつくっていったからこそだ。生物も個体の新陳代謝だけでなく、生物の多様性と食物連鎖があることで、動植物にとってその地域が楽園になる。団地や街の活力も同じではないだろうか?しかも住宅建築や中古住宅取引、建物のリフォーム(リモデリングやリノベーション)はどの国でも地元中小企業が担っている。

 

若い頃に買った建物の不動産価値が高まれば、住宅ローンの残債も軽くなり、家族構成の変化に応じて移り住むための資金的余裕も出来る。また地元住民を相手にする商売がその街で成り立てば、お祭りやイベントなど来街者を増やすための時間やお金を、その街のために使える商業者・自営業者が増えるということを欧米の街づくりが証明している。それは「文化の違い」ではなく「間違った計画をしてしまった」結果だが、自治体が本気で地方創生、持続可能性を求めれば、もっと知恵も出てくるだろう。間違っても同じ過ちを繰り返してはならない。

広島市郊外の山を切り拓いた大型団地。今は人気の団地で、人口も増加し小学校も新設されたが、今のままでは30年後は過去と同じことが繰り返されるだろう。

 

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