2013.7.20 第86話
伊勢神宮の遷宮と、参道に出来た「おかげ横丁」の街づくり
2013年の今年、伊勢神宮は20年ぶり、出雲大社は60年ぶりの『遷宮』の年に当たり、私もおよそ30年ぶりに伊勢神宮にお詣りしてきた。伊勢神宮独特の「唯一神明造」で建てられたご正殿は、20年前に建てられた現在の神殿と隣の敷地に新しく建てられた神殿が、ヒノキ材の色褪せだけでなく、傷み具合なども含めて並んで比較が出来るため、現地で直接見ることはとても貴重な体験となった。
事前の情報として、広島の安芸の宮島にある『厳島神社』界隈の街づくりの勉強会に参加した折、伊勢神宮内宮の参道沿いに1990年代前半から開発がスタートした、江戸時代の伊勢の賑わいを再現した街『おかげ横丁』が、伝統的な門前町の再開発の成功事例として紹介があり、式年遷宮のお詣りと併せて見学をしてきた。
「おかげ横丁」のある門前町は、元々『おはらい町』という参道沿いに伝統的な建築様式のお店が数多く連なって戦前までは賑わっていた。しかし車社会の進展により多くの参拝者が近くの駐車場に止めて伊勢神宮にお詣りするため、毎年500万人以上の参拝客のいる伊勢神宮の参道には年間10万人しか通行せず、街は衰退する一方だった。
そこで、300年以上もこの地でお店を営む老舗企業「赤福」が中心となって、五十鈴川に架かる橋とおはらい町の通りが交差する赤福本店前の広場に接した民有地2,700坪を元々住んでいた住民から買取り、江戸時代から明治にかけての伝統的な伊勢の街並みや賑わいを再生する『おかげ横丁』のプロジェクトがスタートした。
『式年遷宮』による技術伝承
赤福は、当時鉄筋コンクリート造だった「おはらい町」の本社ビルを、まだ耐用年数があるにもかかわらず「趣がない」ということで解体し、木造の伝統的な雰囲気の建物を再建築した。そして本社周辺の地権者30名に対して、赤福の社員が手分けして6年をかけて、すべての土地を自己の負担で買取り、江戸時代の伝統的な街並みを再現している。それを可能としたのが、20年ごとの式年遷宮で受け継がれてきた大工や建築資材、飾り職人たちの伝統技術の伝承があったという。三重県内でも失われつつあった伝統建築の技術が「集団として残っていた」ことは、プロジェクト成功には大きな要素となっただろう。それは、数年前に出来た羽田空港駅ビルの『江戸小路』や、熊本城内に忽然と出現した『桜の馬場城彩苑』のような、テーマパークにしか感じられない「江戸時代風商業施設」との違いであり、100年単位で考えた街づくりを感じさせる。おかげ横丁は今や年間400万人を超える集客で賑わっている。
しかし一方で総事業費を聞くと、唖然としてしまう。内訳をみていくと立ち退きをしてもらった地権者は30人。
土地は2,700坪ということだから、平均すると90坪の敷地に自宅を建てて住んでいた人たちに移転してもらって新たに30棟の伝統的な木造の建物を建築、50前後のテナントに出店してもらったという再開発プロジェクト。
総投資額140億円という数字は大型の公共事業ではそれほど驚く金額ではないかも知れない。しかし単純計算すると、90坪の敷地に建つ古家の立ち退き費用と再建築価格に1区画で4億円かけ、PR等に20億円の費用が残る金額だ。いかに日本でも有名な伊勢神宮のお膝元とはいえ、土地購入費と建築費を考えても驚くような事業費となる。大工や職人にそれほどの手間賃を支払ったとも思えない。
このように日本の建築費用には不透明な部分が多く、特に昔ながらの材料や工法を使うと割高になっても多くが容認してしまう。それは日本の住宅業界の悪しき慣習だ。