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若本修治の住宅コラム

2013.12.20 第91話

失われた建築装飾デザインの遊び心

戦後日本で建てられてきた住宅は、昭和43 年を境に量的には充足して、世帯数よりも住宅戸数が上回るようになっても、住宅業界自体が数(=売上数字)を追い求めたため、品質やデザインはおざなりのまま、戸数だけが増えていった。その後の日本は豊かになり、世界第二位の経済大国になったものの、不動産の価値は「土地中心」で、建物価値は20 年でゼロになってしまった。間違った減価償却理論が一般的になったがために、プレハブも含めて「使い捨て」のような住宅が増えてしまった。25 年も経てば、デザインは陳腐化し、性能も劣るため、建物を解体して更地にしたほうが不動産価値が高まるという現象まで起こっている。デザインも平面や屋根形状を複雑にし、凹凸によって変化をつけるから、コストは高くなってエネルギーロスは増え、雨漏りのリスクも増える状態になっている。

 

欧米の住宅地で出会う素晴らしいデザインの建物を良く見ると、平面的には単純な長方形が多く、窓の形状も配置も奇をてらうような変化はなく、いたってシンプルに同じパターンが繰り返されているだけだ。屋根もほとんどが切妻屋根で、屋根勾配も揃っている。個性を出しているのは、屋根のドーマーや窓周りの装飾、ポーチの柱など、構造躯体に影響のない“装飾デザイン”によって、街並みに彩りを与えている。芸術のような装飾が、建物に奥行き感を与え、魅力ある街並みに欠かせないパーツになっている。

 

モダニズムトポストモダン

 

戦後の日本の建築は、ル・コルビュジエらモダニズム建築に影響を受け、装飾を排除した幾何学的建築、コンクリートや鉄、ガラスなど硬質素材のシャープな建物が数多くたてられた。有機的なデザインや職人の手仕事が残るような質感は影をひそめ、住宅もノッペリとしたサイディングの家が大多数となっている。その反動として『ポストモダン』と呼ばれるデザイン運動も盛んとなったが、ポップアートのような奇抜な色やデザインを採用するものの、既存の風景に馴染まず、様式美もないまま流行り廃りのデザインとして数十年で消滅してしまった。日本での代表的な建築物としてJR京都駅が挙げられるが、建物の寿命と比べて、わずかな期間で陳腐化し、日本人はおろか外国人観光客にとっても京都に着いた期待を裏切る巨大なモニュメントに他ならない。バブル期に建てられた有名建築家によるポストモダニズム建築は、その多くがたった30 年程度で解体され、新しいビルに生まれ変わっているのが現実だ。

 

では、日本で外国人観光客に見せることができる建築物や建築様式は、社寺仏閣や、武家社会、茶室や数寄屋建築など、明治以前の特権階級の人たちが建てた和風建築しかないのだろうか?そして庄屋や豪商の住まいしか、見るべき装飾や様式はないのだろうか・・・?

 

実際に地方の片田舎を車で走っていると、意外とユニークで凝った装飾が目に入ることがある。その多くは、大工や左官職人による、ノミや鏝を使った手加工の装飾だ。左上の画像は、広島県内の片田舎の田園風景の中にある、普通の農家の「蔵」を撮った写真。欧米の建物にみられる建具枠などのケーシングと同様、漆喰が塗り重ねられ、小庇も手の込んだ鏝絵で仕上げられている。形の違いや色分けなど、職人の遊び心とセンスが感じられ、プレハブメーカーの数千万円する家でも見ることのできない、造り手の心意気や家づくりへの愛情が伝わってくるようだ。欧米の建物は、ファサードのデザインが立面的に分けられていて、上から帽子、ジャケット、スカート、ブーツのようにそれぞれが気を抜くことなく装飾が施されているというが、田舎の蔵でさえ「なまこ壁」で足元のデザインも手抜きしていない様子は、今の住宅建築では失ってしまったようだ。

東広島市西条町の農道脇で見掛けた農家の蔵。左官職人の技術と誇りが感じられる。
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