2021.7.12 Vol.15_No.26
広島の団地シリーズ-Vol.07_美鈴が丘団地
今でこそ西風新都にあるセントラルシティこころ団地が大きくて新しくて有名ですが、広島市民にとって古くからある大きい住宅団地といえば、高陽ニュータウン、美鈴が丘団地ではないでしょうか。今回はその中の一つである美鈴が丘団地についてご紹介します。
美鈴が丘団地は広島市中心部から西へ約7キロ離れた南は鈴が峰山、東は鬼ヶ城山に囲まれた西区と佐伯区の境にある団地です。
佐伯区五日市方面からは一つの進入路、広島市内方面からはトンネルを抜けると、団地に入ります。
美鈴が丘団地は佐伯区になり、ほぼ同時期に造成された隣接している山田団地は西区になります。
美鈴が丘団地は三井不動産が中国地方で初めて単独で開発した団地になります。
1964年に三井不動産の中国支店が広島に設立され、沿岸部の埋立事業とともに美鈴が丘団地の用地買収から団地の開発が始まります。
1968年に用地買収を開始し、1974年に団地の造成工事が着工します。
約8000通の公募の中から「美鈴が丘」の名称が決まり、1978年に東街区から入居が始まり、1979年に西街区、1981年に南街区、そして1985年に緑街区の入居が始まり、団地が完成します。
上の図のように山であった地形を住宅団地として開発したので、団地内で一番低いところで100m、一番高いところで200mの標高となります。団地内でも約100mの標高差があります。
そして、谷間が多かったため、大規模盛土もなされています。(下の図参照)
平成30年7月豪雨では、中学校のグラウンドに、また南街区の道路に土砂が流れ込む被害が発生しましたが、家屋倒壊や死傷者の被害はありませんでした。
1981年に美鈴が丘小学校が開校し、1985年に美鈴が丘中学校が開校して児童たちも徒歩圏内で学校に通えるようになりました。
小学校は1990年に児童数が約1450名となったが、それ以降は減少していき、現在は約1/3の約530名の児童が通っています。
広島市HPの人口・世帯数のデータより美鈴が丘の町名が登場したのは広島市に合併した1985年の6月からであり、緑街区は同年の12月より登場しています。
上の図はそのデータを参考に5年毎で集計した表です。団地の人口は1987年に1万人を超え1995年の約12,100人をピークに減少傾向に転じ、現在は1万以下となっています。
団地内の他の町に比べ、美鈴が丘西1丁目が遅れて人口のピークを迎えているのは、1990年3月にパークハイム美鈴が丘(マンション)、1997年8月にパークコートのマンション群が建ったことにより人口・世帯数が一気に増えたからです。
ですが、世帯数は増加しており、下の図の年齢別人口推移をみても、減少していた14才以下の人口が2010年以降増加しています。
現在は高齢者が約4割と高いですが、団地内で世代交代が進んでいるのがよく分かります。
労働人口(15~65才)が減少して高齢者が増えているのは、団地が出来た頃の入居者が団地の熟成とともに年令を重ねているからです。
広報「みすず」は昭和55年11月の創刊以来現在まで定期的に発行されるなど美鈴が丘団地の町内会、自治会はとても活発です。
団地内に増えた高齢者のための活動も積極的に取り組んでおり、広島市、地域、タクシー事業者が協力して、2016年10月から乗り合いタクシー「りんりんタクシー」の運行が開始され、高齢者の足となっています。団地内にあるスーパーを始点・終点として3ルートに分かれて定期的に運行しています。
また、2017年7月にゴミ出し、清掃など高齢者の助けとなる「美鈴が丘レスキュー」を立ち上げました。
車が無いと不便な印象はありますが、路線バスの運行もあり広島市内各所への往来はしやすく、自治体が住みやすい街を目指して積極的に取り組んでいることで安心して生活できる団地となっているのは土地選びの重要なポイントになるのではないでしょうか。