2022.3.10 Vol.15_No.28
広島の団地シリーズ-Vol.09_ひろしま西風新都の団地群
西風新都といえば、最大級規模の新興住宅団地である「セントラルシティこころ」を思い浮かぶ人が多いですが、じつは広島市が都市づくりの全体計画として名付けた計画地名「ひろしま西風新都」からきています。
■「ひろしま西風新都」とは
昭和40年代に民間事業者が土地の買収を進めていましたが、道路や上下水道等の設備の整備がされていないという理由で広島県が昭和50年に開発を凍結しました。その後、広島市が平成元年(1989年)に都市づくりの全体計画として「広島西部丘陵市建設実施計画」を策定して計画的な都市づくりを進めていくことになりました。
その都市づくりは、広島市全体の均衡ある発展に寄与することを目的に、「住み、働き、学び、憩う」という4つの機能を備えた新たな都市拠点の形成と自然環境等と調和した人間性豊かな都市の形成を基本理念に、広島市と地域住民、民間開発業者が適切な役割分担と協力関係のもとに一体となって取り組む大規模プロジェクトになります。
広島市中心部より北西方向約5~10kmに位置する安佐南区沼田地区及び佐伯区石内地区の丘陵地約4,570ヘクタールの区域を全体的に「ひろしま西風新都」と呼びます。
「西風」にのせて広島市の都市部へ、ひいては大阪・東京へと新風を吹き込む都市になるようにとの期待を込めて「西風新都」と名付けられました。
■ひろしま西風新都の発展
「ひろしま西風新都」は「住み、働き、学び、憩う」という機能を備えるために、「住み」の場である住宅用地だけではなく、「働き」の場である工業、流通、産業を目的とした用地の開発も同時に行われました。
平成2年(1990年)の大塚業務地区等の開発着工を皮切りに本格的な都市づくりがスタートし、平成6年(1994年)のアジア競技大会開催に向けて、会場となる広島広域公園が開場して、新交通システム「アストラムライン」の運行が開始しました。
現在広島広域公園は多くの市民が集い「憩う」場となり、またプロサッカーチームであるサンフレッチェ広島のスタジアムとしても活用されています。(2024年に広島城近くの中央公園跡地に新サッカースタジアムが移転・開業予定)
また広島市中心部の本通りから広域公園駅まで運行しているアストラムラインは、広域公園駅からJR西広島駅まで延伸が予定されています。
工業地区、流通地区、そして大学がある学研地区などそれぞれの機能が備わった様々な地区が出来ていきました。
広島県運転免許センターも西風新都(石内)に新設されました。
平成10年(1998年)に佐伯区に石内バイパスが開通し、平成13年(2001年)には広島西風新都IC及び広島高速4号線が供用され、広島都心や広域へのアクセスがより良くなりました。
アジア競技大会の選手村で選手たちが滞在、使用された建物は住居用マンションになり、多くの住民が生活しています。そのA・CITYヒルズは日本では珍しく電柱・電線が地上にない地区として開かれた景観を保っています。
■ひろしま西風新都の住宅団地
ひろしま西風新都には昭和40年代から50年代にかけて住宅団地がたくさん出来ましたが、8万人人口を目標に新たな住宅団地が開発されました。
安佐南区伴南から佐伯区石内北にかけて開発された「セントラルシティこころ」は最大級規模となり現在でも分譲中ですが、その他に安佐南区大塚西に「A・CITYアベニュー花の季台」、広島県運転免許センターのある佐伯区石内南に「ライセンスパーク杜の街」、安佐南区伴北に「若葉台」、アウトレット西風新都のある佐伯区石内東に「グリーンフォートそらの」という住宅団地が出来ました。
急速な人口増加に伴い、花の季台団地内に大塚小学校、大塚中学校が、セントラルシティこころ団地内に伴南小学校、石内北小学校が開校しました。
広島市中心部への往来は、アストラムラインの駅までは歩くには少し距離があり、主にバスを利用します。やはり車は必須となります。
古い団地の特徴として一気に押し寄せる高齢化の波がありますが、西風新都の新興住宅団地では、この高齢化の波を防ぐために段階的に開発、販売して少しずつ世代をずらしていってます。現に未だ開発されていない地区があります。
団地の過疎化は高齢化とともに利便性の悪さがあります。病院、スーパーなどが遠い、坂が多い、どこかに行くのに足が無い、バスの本数が少ない…等の理由で次の世代への橋渡しが難しいという事が挙げられます。現にサッカースタジアムも中心部から遠いという理由で本拠地が移ることになりました。
都市づくりを始めたときと同様に広島市、地元住民、民間業者が一丸となって住み続けたい街を作り続けることがこれから購入を検討する人にとっても魅力の一つとなりますね。