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若本修治の住宅コラム

2011.6.10 第61話

情緒のある街並みをつくろう!

昔、JRになる前の国鉄時代に「ディスカバー・ジャパン」という大キャンペーンがあった。郷ひろみがテーマソングを歌った『エキゾチック・ジャパン』のキャンペーンはご存じの方も多いだろう。時代は高度成長期からバブル経済がスタートし、国鉄がJRに分割民営化する頃だ。個人が豊かになり、日本全国を発見しようという旅のプロモーションとして、各地の情緒豊かな街を訪れる人が増えた。

 

エキゾチックという言葉は「異国情緒」を連想させるが、外国人から見れば日本は「異国情緒あふれる国」だった。過去形にしたのは、今やどこに行っても無国籍で情緒のない街が増えてしまったと感じるからだ。日本人にとって異国情緒のある街は、横浜や神戸、函館や長崎といった貿易で栄え、洋館が残るような街。そして「下町情緒」という言葉も日本人の心をくすぐる原風景ではないだろうか?
暮らしからみれば下町風情といってもいいかも知れない。

 

私の住む広島では、2つの景勝地で景観問題がクローズアップされている。ひとつは世界遺産の『厳島神社』(安芸の宮島)から見た対岸の廿日市市の住宅地開発。能舞台から大鳥居を望むと、正面にマンションや宗教団体の巨大な建物が目に飛び込み、島内で街並み保存活動をしても水泡に帰しているのが現状だ。そしてもうひとつは、江戸時代の街並みが残り、イコモスからも中止を勧告された『鞆の浦』(福山市鞆町)の埋め立て架橋計画。海上交通が盛んだった時代に潮待ちの港として知られ、万葉集にも謳われた風光明媚な港を埋め立てて、コンクリートの架橋でバイパスをつくる計画が景観問題となり住民を二分している。

 

いずれも歴史と情緒が残る街。地元に住んでいる人たちも将来残したいと願う「情緒ある街」だ。洋の東西を問わず、人は情緒ある街が好きだ。下町情緒がそうであるように、風光明媚でなくても、心に残るような景観、街並みがそこにあるからまたいつか訪ねたくなり住んでみたくもなる。情緒ある街とは、ノスタルジーを感じる風景なのだろう。

 

私たち、現代の住宅業界に携わっている人たちが、これまでどれほど「情緒ある街をつくる」という意識で仕事をしてきただろうか?私を含めて、建物の構造や性能、機能などを追い求め、価格の見せ方を工夫し、他社との差別化に躍起になったのが、戦後の家づくりの中心になってしまったのではないだろうか・・・?他社との差別化の中には、決して「情緒ある街をつくろう」という発想は生まれない。

しかし「情緒ある街」をイメージすれば、建物の性能や機能ではなく、やはりデザインや街並みが大切だということが見えてくる。とはいえ残念ながら統一感のある街並みをつくってもプレハブ住宅では情緒を感じる街は出来ないだろう。だからこそ、地域に密着した工務店や設計事務所の役割が重要になってくる。大手ハウスメーカーの真似をするよりも、後世に残したい建物や街並みをつくることが、私たち住宅業界に従事している人間の務めだろう。

 

それは何も日本的な景観を残すことに限らない。異国情緒ある港町がそうであるように、欧米の街を手本にして新しい風景を作ってもいい。大切なのは、時代が変わっても残したくなるような風景をつくること。そしてそこに住む人たちが愛着と誇りを持って住めるような仕掛けや施設も用意したい。それは昔から日本にあった伝統文化であり、建物や街並みといったハードと、その地域に住む住民の暮らしや繋がり(絆)といったソフトが相まって、情緒を感じる街が将来も続くのだ。持続可能な街とは、最先端の技術で省エネを目指すことでも、スマートハウスの街でもない。

 

日本でも、戦前は多くの場所で情緒ある街が残っていた。私たちの時代でも情緒ある街はつくれるはずだ。

広島県福山市の鞆の浦。室町時代から栄えた港町に、今も常夜灯など江戸時代からの風情が残る。
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