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若本修治の住宅コラム

2012.6.10 第73話

古いものを守る西欧と、新しいものを壊す日本・・・。

日本がバブル経済真っ盛りの頃、阪神タイガースの優勝の余韻が残る大阪道頓堀川に架かる戎橋のたもとに、当時新進気鋭の建築家、高松伸氏設計による近未来ビル『キリンビール大阪』が姿を現した。その頃は企業の文化支援活動が盛んになり「企業メセナ」という名称で、全国に建築家を起用した「異様な」ビルや施設が次々と建てられた。

 

先頃出張で大阪の心斎橋に宿泊し、久しぶりに夜の道頓堀に出掛けてみて、かのキリンプラザ大阪が別の商業ビルに生まれ変わっているのを見て驚いた。たった21年で大阪ミナミの象徴的ビルは解体されていたのだった。キリンビールといえば、スーパードライの大ヒットでアサヒビールに首位を明け渡すまでは、業界のガリバーと言われ、当時就職先でも人気企業の一つ。全国の工場も再編しているとはいえ、繁華街のビルも経営の足を引っ張ったようだ。

 

バブル経済の頃、私も東京で商業施設の設計・施工を行う会社の従業員として、数多くのバブルな建物に関与した。自社の東京支社ビルでも、社長の友人でもあった安藤忠雄氏に設計依頼したものの、アメリカ人建築家、ピーターアイゼンマン氏を紹介され、照明や学習机のコイズミの社屋と同じく、カラフルで地層をイメージするような『ポストモダン』なビルに生まれ変わった。外壁は傾き、階層ごとにパステルカラーで塗り分けられた異様な外観だった。

 

中央区東日本橋の支社ビルから、江戸川区に移転した新しい支社は、その異様な佇まいと通勤の不便さも手伝い、室内で平衡感覚を失うなど、社員にはすこぶる評判が悪く、1999年にその会社が破綻して数年後、やはりその奇抜なビルは取り壊された。まさに「夏草や兵どもが夢の跡」だ。

 

最近の建築関連のニュースを見ると、日本を代表する建築家、故丹下健三氏が設計し、一般人でも知っている『赤坂プリンスホテル』(通称「赤プリ」)の解体が決定、またバルブの頃隆盛を誇った『日本長期信用銀行』(現新生銀行)が、東京丸の内に1993年に建築した最先端のガラス構造のビルも、2013年に解体が決定した。日建設計と竹中工務店という、日本でも有数の技術集団が手掛けた最新デザインのビルが、たった20年で寿命を終えるのだ。

 

日本の住宅の寿命が30年と言われて久しく、建物の長寿命化が叫ばれている。しかしもっと耐用年数が長く、巨大な投資をしたRCやSRC造の商業・業務・文化施設が、たった20年程度で寿命を終える日本という国。しかも日本を代表する建築家や設計事務所が手掛けた最新デザインの建物が、多大なコストを掛けて「産業廃棄物」にされていくのだ。解体される原因は、必ずしも老朽化ではない。

 

日本の建築家が設計した建物は、あまりにも時代を意識したデザインや、特殊な用途しか使えない空間、そしてメンテナンスを考慮していないデザインが多い。だから環境変化に対応できず、維持管理費がかさむため、解体した方がいいという結論に至るのだ。もちろん周辺の景観に与える影響も、「調和」よりも「孤高」のデザインが少なくない。

 

欧米では、歴史や文化・伝統で磨かれ、現代に残ったデザインは価値あるものとされ、長期に亘って利用されて高い価格で売買される。何世代にもわたって「遺したい(残したい)」と思う街並みや建物のデザインは、世代を超えて利用できる柔軟性も兼ね備えている。逆に、個人の嗜好や特殊な用途、その時代にしか通用しない先鋭的なデザインは、流行歌と同じく「時代と共に消えていく運命」だ。

 

東京でも象徴的な建物『東京駅』が、先頃100年前の開業時の姿にリニュアルされた。後世に残したい建物は多大な費用と最新技術を使ってでも残すことを選択されたのだ。

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