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若本修治の住宅コラム

2012.7.10 第74話

郊外団地の高齢化と中小スーパーの撤退。

私が住む広島市は平野部が少なく、市中心部は原爆で壊滅的な被害を受けたこともあり、高度成長期以降の住宅地開発は、山裾の郊外へとスプロール化していった。瀬戸内海沿岸の町は、元々尾道市や呉市など、坂道に住宅が密集している景色が普通に見られ、坂の上に住むことにそれほど抵抗感がない。だから1千戸を超える大型団地が山を切り開いた高台にでき、数多くの住民が住むことになった。

 

ほとんどの住民は「子育て世代」で、郊外から車で市内中心部にある会社に通う『通勤族』。分譲期間は短期間、終身雇用や給与UPが当たり前で、インフレが続いていたこともあって、年齢層や収入層が同質の購入者が「一気」に移り住んだ。また人口増によって高台にも小中学校が開校し、地元の食品スーパーも出店した。車があるので都心の喧騒から逃れ、自然が残る郊外での庭のある戸建て住宅の生活は、当時は将来の不安もなく豊かに感じたことだろう。

 

郊外に現れた新しい住宅団地は、日中は市中心部で働くサラリーマンが、仕事を終えて帰ってくる「ベッドタウン」。地元の団地で働いている人はわずかだ。だから自治会活動などはあまり参加できず、妻に任せきり。輪番制で回ってくる役員は名ばかりで、ご近所との付き合いも限定的な「プライバシーを重視した」家族単位の生活が、ご主人の定年退職まで続くというのがどの団地でも見うけられた。

 

その後住宅ローンも終え、子供たちの独立後も元気で車で遠くに出掛けられるうちはまだ顕在化していなかったが、急速に進む高齢化によって、最近様々な不安や問題が表面化してきたのだ。病院への通院や庭の手入れなどを考えると、利便性の高い場所に新しく分譲されたマンションのほうが暮らしやすい。そうして郊外団地から去る人たちが増えて、団地内で商売をしていたお店は減り、路線バスなどの公共交通機関も先細りしていった。

 

同じ時期に分譲開始され、同世代の人たちが住む郊外団地は、高齢化も同じように迎えた。子供たちの多くは別の場所に居を構え、建物も老朽化するばかりだ。郊外のロードサイドに大型のショッピングセンターが出来れば、地元で長年親しまれてきた食品スーパーも、いよいよ経営維持が難しくなってくる。子供たちは減り、店も減って団地が衰退に向かい始めると、それを食い止めるのは容易ではない。
空き店舗や空き家が、町の活気を奪ってしまうのだ。そんな郊外団地が、戦後日本全国に数多く出来てしまった。

 

車依存の町をつくってしまったことと、入居時期がほぼ同時期で、住んでいる人たちの「多様性」が欠けて、新しい入居者に入れ変わらなかったこと。それが団地の老朽化・衰退と、住民の高齢化を招いてしまったのだろう。
自然発生的に出来た町のように、多様な世代、様々な仕事に就いた人たちが、地元の人も「お客さん」として地元に根付いたコミュニティが形成できれば、衰退のスピードを緩められたのかも知れない。

 

今、広島近郊の郊外団地では、空きテナントになった食品スーパーの売り場を改装し、高齢者が健康を維持できるように解放された、高齢者向けのトレーニングジムが人気を博しているという。わずかな会費で、若さと健康を維持でき、ご近所とのコミュニケーションも広がるジムやスタジオは、ゲートボールよりも若々しく見える。1人でも出来るのが、団塊世代の「若き高齢者」に受けているようだ。

 

住宅地の活気は案外、住民同士が顔を合わせる機会を増やし、それぞれの仕事や家族、人生観などに関心を持つことが重要なのかも知れない。その交流は「多様性」があるほど活発になり、古い施設の改装でも十分可能だ。

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