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若本修治の住宅コラム

2019.3.20 第153話

日本の不動産市場は、「椅子取りゲーム」か「花見の場所取り」か?

バブル崩壊後、地方の住宅地の地価は下がり続けてきた。人口が減少に転じ、空き家が急増している現状で、所得も上がらない時代であれば、まだまだ住宅地の地価は下がっても不思議ではない。人口増加が続く首都圏でも、八王子や横須賀など、高度成長期に郊外に開発された大規模住宅地は、住民の高齢化と建物の老朽化が進み、空き家率も増加、大幅に値崩れしていると聞く。しかし今回発表のあった『地価公示』では、地方の住宅地も平成4年以来27年ぶりに上昇したとニュースで報じられていた。西日本では山口県や佐賀県でも平均地価が上昇し、22の都道府県で上昇に転じたようだ。もちろん地価が下がっている地域も多いので、二極化が進んでいるといったほうがいいだろう。

 

ここ広島市でも、庭付きの一戸建ては価格が上昇している。特に通勤や通学に便利で、老後も安心して暮らせるような平地のエリアは、土地を買って注文住宅を建てようとしたら今や5千万円は下らないだろう。郊外の古い団地であっても、土砂災害の警戒区域外で良好な住環境が整った大型団地では、昭和の時代に分譲され80~100坪程度のゆとりある敷地に住んでいた人たちが亡くなったり、施設に入って空き家になったり、都心部の新しいマンションに移り住むなど、売却物件は増えてきたが高止まりしている。土地神話で地価が上昇していた頃に買った不動産でもあり、建物価値はゼロとしても、土地の価格は下げたくないのだろう。結局、敷地を30~40坪程度に分割し、2~3区画で販売するから、土地価格自体は手頃な金額になっても、坪単価は割高になっているのが広島市の郊外団地の実態だ。

広島市東区で不動産物件として売り出されていた土地。まるで土砂災害の被災地のようだが、手前のくぼ地と奥の敷地を前後に分筆し、自動車が停まっている場所は”旗竿地”として、奥の土地の駐車場用地になっている。売り物件として未加工で、とても大手が売っているとは思えない。

 

なぜ今、地価が上昇するのか?

 

私自身は、ここ数年が地価のピークで、地価上昇は一時的な現象だと考えている。今後、首都圏でも山手線内や全国の政令指定都市の一部エリアを除いて、地価は下落の一途をたどるだろう。ではなぜ今、地価が上昇しているのかといえば、日本の戦後の土地利用が“巨大な体育館で開催される「椅子取りゲーム」だとイメージ”すれば分かりやすい。しかも椅子自体が形状も大きさも、向いている方向もバラバラで、まともに座れる椅子が少ないとしたら、すわり心地のいい椅子を探し始めた人たちは、慌てるだろうし、多少ズルしたり、割高でも早く座りたいと思うだろう。まともに座れる椅子が少ないというのは、既成市街地の木造住宅密集地では空き家や耐震基準に満たない老朽家屋が多く、しかも建築基準法上の道路幅員のない土地など、座る人がいなく(=空き家)ても、新しい椅子に替えよう(=建替え)とする人も、他の人に譲ろう(=売却・賃貸する)という人も少ない状態だから。売らずに古い建物を解体してコインパーキングにしている土地も数多くある。

 

このような土地利用は、欧米の市街地のように「モザイク画」や「積み木のブロック」のような隙間のない通りで、絵画やパッチワークを愉しむような美しい景観ではなく、まるで「花見の場所取り」のように、自分勝手にブルーシートを広げ、椅子やソファーを置いて、陣取っている状態なのが戦後の日本の市街地になっている。応接セットに一人しか座っていなくても、桜の木に架けたテントがお花見を楽しむ他の人たちの視界に邪魔になろうと、先に陣取ったもの勝ちという状況では、そのうち花は散り、宴会も終わりを告げるだろう。これまで企業や商業施設、育児施設などに貸していた駐車場付の広めの土地需要は、地代負担に耐えかねて、郊外への移転や廃業など、確実に需要は減退していき、値段を下げなければ固定資産税や相続税負担に耐えられなくなってくる。もはや借り手はコンビニかドラッグストアくらいしか勢いがないが、それもオーバーストアになりつつある。コインパーキングばかり増えても周りにお店も無くなれば、利用者も減り、相続税対策のアパート建築ももはや空室リスクが高まるばかりだ。

 

郊外の乱開発が進んだ昭和三十年代、不動産開発の規制をしようと英国やドイツから学んだ『都市計画法』は、本来貴重な資源でもある土地利用を効率的に、美しい街並みになるよう誘導することで、空き地や空き家率を低くコントロールし、公平な地価負担と安定的に地価がインフレ状態になることが目的だった。決して道路計画や宅地の土地造成までの「土木的計画」ではなく、建物の高さや道路からのセットバック、通りの街並み景観がどのようになるのか三次元のモザイク画の下絵が、都市計画の『地区詳細計画』の役目だ。空き家率のコントロールも含めた計画によって住民には“不動産購入による資産形成”に寄与し、自治体の安定財源である「固定資産税収入」も徐々に増加する状態をつくるのが、行政の重要な役割だった。それは日銀が為替や金利をコントロールするように、またハローワークや労働行政が完全失業率を指標にするのと同様、景気の動向を見る指標を何に置くかが大切だ。

 

特に古い建物が多い欧州では、例えば空き家率を4%未満に抑えるといった、目標数字と人口動態をもとに、新築許可の数字も抑制するといったことが、都市計画の重要な役割だった。だから常に住宅需要はインフレ気味になり、中古住宅もしっかりとメンテナンスされるから流通して、景観も守られていく。しかし日本では『新築着工数』が景気や経済の重要な指標になってしまったことで、今や空き家が820万戸、7軒に1軒が空き家になる状態になっても、まだ新築の抑制をせず、社会問題化しているアパート建築も申請さえすれば建築許可が下りる状態が続いている。この状態が地価を支える要因にはなっているが、もはや十年も続けることは出来ないだろう。こんな状況が続くと、個人も地域も持続可能ではないことを、各自治体の首長に立候補する政治家や、地方議員は気づくべき変革期に差し掛かっている。地価上昇や新築着工を経済指標とするのではなく、これまでとは枠組みを変える「パラダイムシフト」こそ新しい時代の政治家として必要な資質ではないだろうか。人口が減る地方だからこそ、豊かさの指標を変える覚悟が必要だ。

広島市郊外で今も新築が供給されている大型団地。今は空き家率は低いが、このようなアパートは築20年もすれば空室が発生し、周辺の戸建住宅も住民の高齢化と共に空き家が増えていくだろう。昭和40年代から繰り返されたベッドタウンの宿命だ。

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