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若本修治の住宅コラム

2021.5.20 第174話

「レジリエンス」という視点で社会と人を考える。

このコラムでは、出来るだけ住宅や不動産の話題で独自視点での発信を心掛けてきた。しかし、これほど世界中で新型コロナによるパンデミックが拡がり、日本では3回目の緊急事態宣言が発令、世界でも感染症を制圧した優等生だと見られていた台湾でさえ、5月中旬以降感染が急拡大に至っては、私も新型コロナの話題に触れずコラムを書き続けることは不自然にさえなってきた。今回、住宅・不動産に絡めて「レジリエンス」という視点でコラムを書いてみたい。

レジリエンスとは、復元力や弾力性、回復力など、大きな衝撃を受けても、元に戻ろうとする「しなやかな強さ」をいい、甚大な自然災害や大恐慌など、多くの人の人生を狂わすような劇的な社会変化が襲った場合の社会や人々の粘り強さだったり、心が折れそうな出来事があったってもへこたれない人間の強さ、再生力などを指す。建築的な専門用語では『靭性(じんせい)力』といい、台風や強風でも折れない「柳の木」のように、しなっても元に戻ろうとするような強さだ。簡単にはポキっと折れない強さが「レジリエンス」だと考えればイメージしやすいだろう。しかし限界を超えると心は折れ、容易には元には戻れないから”限界を見極めること”が重要だ。

 

「人の命か経済か」という二元論で語る危うさ

 

この一年間の新型コロナの過熱報道には違和感を覚えながら、人々も毎日発表される感染者数と病床の逼迫状況に恐怖感が増していった。当初は“三密さえ避ければ、感染リスクは低い”というところから、次第に「人流を止めなければ感染は収束しない」「飲食店や大型商業施設が開いているといつまでも感染拡大が収まらない」と、同調圧力が強まるばかりだ。とうとう当初多くの国民が歓迎していた東京オリンピックの開催にまで、6割の国民が中止に賛成という世論調査まで各メディアで発表され、コメンテーターも同調している。少しでも「もうこれ以上の自粛は会社やお店が耐えきれない。時短に協力したいが、感染に注意して開けざるを得ない」という飲食業や観光業の中小企業がいれば、自治体から罰則を伴う命令を出され、地域から袋叩きにさえ遭うような事態になってきた。これ自体が社会に寛容さが失われ、復元力が弱まっていると言えるのだが、大合唱される「今、経済か人の命かといえば、人の命のほうが重いのが当たり前だろう!」という声に、返す言葉もないというのが、社会の閉塞感を生んでいる。

私は、経済も命も「レジリエンス」という視点でもう少し深堀りして、この1年間で分かったデータや知見から、どちらか一方しか選べない“二者択一”ではなく、いずれもダメージを最小化する方策、多くの人が納得できるような丁寧な説明を思考してみたい。政治でも、日本では長らく「二大政党制が理想だ」と政治制度も小選挙区比例代表制に変え、アメリカや英国のような“政権交代可能な政治制度”がいいと多くの人が洗脳させられてきた。しかし民主国家で多様な人々が集まり、多種多様な考え方を互いに認め合う成熟した社会では、二者択一しか選択肢がなければ「分断」や「格差」が生じることは当然の帰結。すでにブレグジットで国論が二分されEUから脱退した英国や、トランプ大統領の登場で、国民同士に大きな溝が残った米国を見れば明らかだろう。すでに元に戻れないほど分断と格差が拡がり“レジリエンスの限界を超えてしまった”と言っていい。日本で起こった政権交代も、多くの人には苦い思い出や悪夢だったという人達さえ出し、許容範囲の限界を超えたから、野党第一党の支持率は、どのような組合せになっても低迷したままだ。

 

新型コロナ禍におけるレジリエンス

 

私の新型コロナ禍における持論は「命か経済かよりも“現在か未来か”が重要」としている。もちろん命は大切だが、それ以上に今の新型コロナ対策やお金の使い方が、未来にどのような影響、もっといえば「ダメージを残すか?」を想像したほうがいい。また「現在」と「未来」を二者択一、対立する概念で考えると、環境保護活動や気候変動対策のように、また分断が生まれてしまうので、現在を重視することが未来の平和や幸福実現に繋がると考えたい。実際に新型コロナによる死者は、重症化リスクを含めほぼ高齢者が占めており、統計データ上は「世代別死亡率」にはほとんど変化がない。つまり平均寿命が80歳だとして、健康を損なうのが70代前半、入退院を繰り返す10年程度を経ていずれ人は亡くなるが、新型コロナによって高齢者の死亡率が高まったわけでもない。死因のトップはがんの37.6万人、10万人を超える死因は心臓病、老衰、脳卒中で、新型コロナと同じ苦しみで亡くなる「肺炎による死亡」が2019年の統計で9.6万人だった。新型コロナは、関連死も含めて2020年の1年間で肺炎の10分の1。しかも寝たきりや延命治療中の高齢者でも施設内でクラスターが発生し、体内に少しでも新型コロナウイルスが残っていれば、死因は「新型コロナによる感染死」で報告するようWHO経由で厚労省が指導しているという。

日本総研の主席研究員でアナリストの藻谷浩介さんがまとめた資料。2019年と2020年を比較し、死亡者数は減っても死亡率には顕著な変化はみられない。老衰のほか何らかの病気で亡くなるが、それは健康寿命と平均寿命の差が少し縮まっただけで、それも寿命だったと諦めるしかない。

 

新型コロナ感染による”高齢者の死亡”は、余命を数年もしくは数ヶ月縮めたかも知れないが、避けられない未来であり、いずれお迎えがくるのは間違いない。しかも感染症以外の他の疾患と異なり、80歳代の高齢者が重症化しても9割は回復し、数週間後には陰性になっている。後遺症は、がんや心臓病、脳の病気の方が遥かに深刻で治療費も掛かり続け、家族の精神的・経済的負担は大きく期間も長い。場合によって辛いリハビリさえある。実際ここ数年、高齢化が進む日本では、毎年死者数が2万人づつ増加しており、統計上は2020年の死者数は140万人程度と予測されていた。子供の出生数が予測される以上に、亡くなる人の数は本来予測から大きく外れることはない。海外では多くの国が新型コロナによって例年の死者数を大幅に上乗せする『超過死亡』が記録されたが、日本では前年より1万人減り、増えるはずの2万人が外出抑制や感染対策等によって延命されて、事実上3万人ほど「三途の川手前での積み残し」が生じている。数年内にはこの高齢者たちは健康寿命を終え、終末医療が逼迫することさえ予想される事態かも知れない。

2019年の日本人の死因のトップはガン。誤嚥性肺炎を含めれば、年間に「肺炎」で亡くなる人は10万人を超えている。高齢者は新型コロナに感染しなくても、毎年コロナの100倍は亡くなっている。しかもコロナ以前には普通に葬儀が行われ、家族が見送ることが出来た。こちらも日本総研の藻谷浩介さんのまとめ。

 

一方で、緊急事態宣言まん延防止等重点措置によって、経済活動を止めることが、社会にどのようなダメージを与えるか、もっと想像力を働かせたほうがいい。今のままでは社会に復元不可能なダメージを残す危険性さえ感じている。それはレジリエンスの限界を超えた、もはや立ち直れない企業や地域社会、人々を大量に生み出していく未来だ。もっと恐ろしいのは個人や会社だけでなく、これ以上の財政悪化に歯止めが効かず、新型コロナ対策への緩みっぱなしの財政支出は、将来の国力さえも奪っていくことだろう。また自殺などで直接失われる命だけでなく、経済的困窮等によって、一家離散やドメスティック・バイオレンス等の急増、住宅ローン破産や子どもたちの学習機会、平等な教育を受ける権利なども奪う。心が折れ、うつ病になる人など、死に至らなくても社会復帰に何年も掛かる人も増やすかも知れない。さらにサービス業を中心としたお店の閉店や廃業、倒産は、経営者家族など直接の関係者の塗炭の苦しみだけでなく、そこで働いていた非正規雇用や高齢者、障害者など社会的弱者の雇用の吸収力・弾力性まで奪い、地方の過疎地ほど未来に影響を与える大きなダメージを残すだろう。鳥取や島根など、感染者数も少なく高齢者でもほとんど死者を出していない地方ほど、復元が難しいほどのダメージを負い、住民は自分の親族であっても都市部からの人の移動を恐れ続けている。現在の対策が、施設に入所している祖父母のお見舞いも、亡くなってからの見送りさえ社会が封じていることに悲しみを禁じえない。長期入院や介護を受けている親たち高齢者も、家族に会うことも出来ず、看取られることなくお別れすることを望んでいるはずがない。政治や行政の意思が、それを阻んでいると言っても過言ではない。

 

ウイルスではなく人によって奪われている”今”と未来

 

新型コロナは、幸か不幸か未来のある若者たち、子どもたちの命を奪うことはほぼなく、今のところ重症化リスクもほとんどない。そこはインフルエンザや他の病気との大きな違いであり、社会的活動が活発な50歳代以下の人たちが仮に感染しても、病床を逼迫させるリスクや死者数の増加などがあってもわずかだ。要するに、ウイルス自体は30年後、50年後の未来を奪うことはなく、免疫力の衰えた人たちの数カ月間、数年間の未来を奪うリスクがあるということだろう。さらに付け加えれば、成人式の振袖姿や、甲子園の全国高校野球大会など青春を捧げて猛練習した競技会の中止など幼少から青春時代の貴重なハレの日、歳を重ねてのお世話になった恩師らとの歓談、最期のお別れなど、子供から大人まで”限られた期間のみ価値がある”貴重な時間・機会さえも奪っている。故郷で出産も諦める事態も増加、さらなる少子化が進んだり、文化芸術のイベントも自粛されれば、伝統技能の伝承さえ危ぶまれる。命だけでなく、日本人の伝統的風習や芸術文化、経済力も含めた相対的国力も総合的に判断、政治家は現在と未来の影響を冷静に比較し、勇気を持って意思決定してその決定に責任を負うのが役目ではないだろうか?

にも関わらず行動を抑制し、人流を止めて経済活動にダメージを与えるような宣言を地方自治体の首長が出すほど、地域の住民は思考停止状態になり、将来復元ができないほどの経済損失や、企業の人材雇用力を低下させてしまうのではないかと私は危惧している。レジリエンスの弱い社会はとても脆弱で、人々は自信を失い復活する気力まで衰えてしまうのがもっとも大きな社会的損失ではないだろうか。社会的弱者ほど影響は深刻で、格差は広がるばかりだろう。

ウイルス感染自体は免疫力の弱い人に死を与え得る。そしてその家族に一時的な悲しみは残るが、これまで見てきた通り他の病死と変わらない。決して格差や分断、未来へのダメージは与えないということを政治家は強く意識すべきだ。

金沢の繁華街、香林坊から武家屋敷が残る長町を望むと、柳の木が情緒ある風景をつくっていた。建物を壊し木を切ってしまうと、この歴史ある景色は決して取り戻せない。

 

だから、科学技術が発達した現代の社会で最も力を入れるべきは、それでも死亡率の高い「高齢者の隔離・ワクチン接種」や「医療体制の充実」であって、すべての世代、広域エリアに渡る人の行動制限ではないと思う。前者の対策の充実であれば、予算も人材も集中投資すれば、今のような”未来の資金(=国債)”を莫大投入することも、社会に混乱をもたらすことも少ないだろう。経済の回復力(レジリエンス)も期待される。元々日本は1年間で100万人超の高齢者が死亡する「多死社会」であり、それは増える一方だったし、これまでそれで医療崩壊を起こすことはなかったのだ。

今の国や自治体の対策は目先の対処療法でしかなく、住宅で言えば寒くて凍えそうな室内や浴室・トイレ周りに、太陽光で発電した電気エネルギーで電熱ヒーターや床暖房を設置し、設備にお金を掛けて局所暖房、エネルギー浪費を促しているようなものだ。日中の暖かい時間帯に再生可能エネルギーで発電できるが、夜になると発電しないから化石由来のエネルギーで暖を摂る。燃料が無くなればまたお金を出して調達し、いつまで経っても燃料費(=新型コロナ対策費・支援金等)も掛かり続けるという状態だ。本来、熱エネルギーが漏れている場所を特定し、断熱や気密の工事でエネルギー損失を最小化することが恒久的な対策で、費用対効果も高く投入資金も限定される。ウイルス感染も、感染源の特定と感染による影響が重大化する箇所を丁寧に遮断していくことで、その後は小さな対策(エネルギー)コストで、人々が快適に暮らせる状況をつくれるのではないだろうか。

 

ダブルスネットワーク株式会社 代表取締役 若本 修治(中小企業診断士)

 


●参考まで、国内のCOVID-19の重症患者を受け入れた全国の医療機関、5500のICUベッド数で、人工呼吸治療やECMOを利用して亡くなった方、快方に向かった方の統計データが開示されています。2021年5月18日現在、ECMOを利用して亡くなった事例は206例、その他の人工呼吸治療で亡くなった事例948例を足すと1,154例で、集中治療室で懸命な治療を行ったものの、新型コロナで亡くなった信頼性の高い数値です。このデータは国内のICUの80%をカバーしているということから、新型コロナに罹患して重症で亡くなった人数は、集中治療室に入れず自宅療養等で亡くなった感染者も含めて多くて2千人以下だと予測されます。

【日本COVID-19対策ECMOnet】https://crisis.ecmonet.jp/

日本集中治療医学会専門医認定施設、日本救急医学会救急科専門医指定施設を中心に日本全国600以上の施設が参加している「横断的ICU情報探索システム」から、全国の8割をカバーするICU(集中治療室)で、人工呼吸治療を行ったデータの可視化です。左側が肺の機能を機会で補う「ECMO治療」、右側がそれ以外の「人工呼吸治療」で、死亡例と快方に向かった数値の累計がグラフ化されています。

GWに訪ねた加賀百万石の城下町金沢。JR金沢駅前の門は、レジリエンスという言葉を想起させた。
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