2025.1.20 第190話
欠陥住宅も自然災害も“事前の備え”で回避しよう!
終戦後80年となる2025年が明けた。今年は昭和100年に当たり、阪神・淡路大震災からちょうど30年、去年1月1日に発生した能登半島地震や、同じエリアを襲った9月の洪水被害など、文明や技術が進んだ現代でも100年前と大差ない避難所の運営や被害への事後対応が続いている。半島で、元々交通事情が悪く集落が点在、高齢化が進んでいた能登地方では、被災から1年経ってもほとんど復旧が進まず、人口の流出が深刻だという。このことは三陸海岸を襲った東日本大震災でも経験済みで、南海トラフ地震による被災が想定される和歌山県や高知県、島根原発のある松江市周辺など、今でも全国の過疎地域で予測可能な事態だ。
今、国は新しく就任した鳥取県選出の石破総理の構想により『防災庁』設置に向け走り出している。文字通り“災害を未然に防ぐ”ような防災・減災のスキームづくりを望みたいが、日本では自然災害自体は避けられないため、どうしても「災害発生の予知」や「早期復旧のための体制づくり」そして「避難環境の改善」「災害関連死の最小化」といった災害発生後の被害の軽減、復興過程での精神的・経済的支援の強化に人員や巨額な予算を割くこと中心に議論されている印象だ。しかしこの30年間で発生した激甚災害で、被災から復興までの時間や費用は予測できず、莫大な予算と時間が投入されたものの災害関連死は一向に減っていない。元々あった地域コミュニティは崩壊、地元の雇用も喪失し、災害復興の土木・建設事業者だけが潤ったという状況から何ら変化がないのが実態ではないだろうか?しかも建設労働者は減り続け、すでにあるインフラの維持だけでも対応が厳しい状態になりつつある。

2014年に発生した広島土砂災害で、当時高校生の次男と妻の3人で家屋の泥搬出のボランティアに赴いた時の安佐南区八木8丁目の様子。このような危険な場所に住宅が建っている限り、財産や人命を失うリスクは無くならない。
欠陥住宅対策と災害対策の共通点
自然災害も、極論から言えば地震や洪水、津波、火災などによって“建物が破壊”されることによる被害の影響が最も大きい。人命だけでなく住む場所や仕事場を失うことが精神的にも経済的にも被災者に大きなダメージを残す。しかし建物がない場所、例えば農地とかグランドとか山林であれば、地域のダメージは少なく復旧も比較的容易だ。つまり高度な研究や測定システムの開発などをして、災害の予測精度を高めるような国家予算や高度人材は、むしろ自然災害の危険性の高いエリアから人々を事前に移動してもらうための調査・研究や移住費用に充てるほうが人々のダメージは少ない。結果的に国や地方が負担する予算も計算可能だ。さらに言えば居住地の移転は経済効果も高く、ポジティブな投資になるから、災害復旧のような歯を食いしばるような苦労や将来にわたっての不安も経験しなくて済む。災害発生後の「有事」の対策を考えるより、どこでも災害が起こり得ることを前提に「平時」にこそ危険回避策を講じておくことが、国民の経済的・精神的負荷や逸失利益を最小化でき、特に過疎地域の持続可能性を高めることに繋がるのではないだろうか?
また広域の激甚災害は、その地域の土木・建設業者も被災者になるから、工事の段取りや職人の手配も困難で、仮に手配できても適切な利益で工事を請け負うというよりも、半ばボランティア的に地元の人達の復旧支援をすることが優先される。これまでの国の復興事業は、仮復旧が終えた後に莫大な予算を組んで、その地域以外、大都市圏のゼネコンや大手ハウスメーカーに復興予算を計上、全国から下請けや孫請企業が集まり、その作業員向けの宿泊施設や飲食店経営、生活関連消費など、復興予算に比べて僅かなお金が地元に落ちるだけに終わるのが常だ。そして地元のコミュニティや景観を無視した巨大な建造物をつくり、引き揚げていく。結果的に、大都市圏の会社にお金も人材も集まり、東京一極集中が加速化され、復興特需が終わった地方は衰退していく。これは政府の責任ではないだろうか?
欠陥住宅も、契約時点からそのリスクが潜んでいて、当社のようなチェック機能があれば回避は可能だ。完成した時に明らかに欠陥と分かるような住宅はなく、住み始めてからの違和感や、大きな自然災害によって発覚することがほとんどだから、工事着工前、出来れば契約段階での事前チェックが有用だ。入居後に建物の傾きや雨漏り、基礎のクラックなど、欠陥の事象が表面化しても、その原因を特定し、不良箇所を直すのは容易ではなく、その費用も補修の時間も簡単には計算できない。ましてや施工者側は「適切な工法で施工しており、自分たちの責任ではない」と言い張る会社がほとんどで、個人で復旧するのは精神的にも経済的にも大変だ。今は、ホームインスペクターという調査の専門家もいて、住宅瑕疵担保の保険制度も義務化されているから救済制度はあるとしても、一個人の施主がそこまでたどり着くのは容易ではなく、余計な時間や費用を割かなければならない。裁判ともなれば、奪われる時間も負担する費用もまったく計算できなくなる。ネガティブな感情がいつまでも続き、本来持っている能力や有益な時間を奪われ続けるマイナス面は、建物のハードの欠陥と同じくらい、もしくはそれ以上に生活に悪影響を及ぼす。

2021年のGWに金沢・富山・能登方面に家族旅行した時の写真。七尾市の和倉温泉の湯につかり、能登島大橋を渡って中島町から和倉温泉方面を振り返って撮影した。快適に走行できる道路が続き、当時は現在の震災後の状況は想像さえつかなかった。
「令和の列島改造」で進めたい、災害リスクと距離を置く『バッファゾーン』による国土づくり
住宅の欠陥も自然災害による被災も、これまではそんな事態は発生しないだろうという前提で暮らしてきた人々がほとんどだった。今は、そのような事態が発生したときに備えての“負担軽減策”や“保険”を準備する人たちは増えているし、政府や自治体、マスコミも「今ある生活環境・今住んでいる建物」を前提に、防災対策や減災の取り組みを広報している。それ自体は必要なことかも知れないが、それで状況が改善した事例は日本全国どこにもない。むしろこれだけ人口減少が進み、過疎地の限界集落が増加、道路や上下水道等のインフラ維持管理も不十分になりつつある特に地方では、市町村のような自治体単位ではなく、広域圏でより自然災害に安全なエリアを選定し、集住する計画の立案を急いだほうがいい時代になってきたと感じている。「コンパクトシティ」のような中途半端なまやかしの計画ではなく、ダム湖に沈む集落から”集団移転”するような危機感のある移住計画だ。
それは完全にその地を離れるということではなく、基本的に同じ基礎自治体内での移転だ。自然災害に襲われるリスクの高い場所は、公園や再生可能エネルギーの拠点、市民農園や植林をしてもいい。伐り出しや間伐も容易ではない急傾斜の山林に、林道整備含めてお金を投じて秋に実のならない「杉」や「檜」などの針葉樹を育て続けるような時代は終わった。むしろ地域の里山は広葉樹の覆い茂る自然の植生に戻し、野生動物も暮らしやすい環境にして害獣被害を軽減、人々が暮らすエリアはしっかりとインフラを整備して農地など食料生産体制も整え、50年後も自然と一体となって暮らせる環境を整備するほうが過疎地にとって安心して暮らせるのではないだろうか?より具体的には自然災害を回避できる「バッファゾーン」の整備に知恵とお金を投じることが、将来にわたって“賢い選択”になるだろう。まさに石破総理が目指す『令和の日本列島改造』の実現のため、公共事業や公的支出は「ワイズスペンディング」だと評価されるような政治を期待したい。
指標としてのKPIは、例えば「各自治体のハザードマップのレッドゾーンにある住居を2040年までに2割移転させて、安全な居住環境への列島改造を目指す」とか「過疎地域でも、徒歩5分エリア(400m)に公的移動手段を用意し、人口の7割が集住できるコンパクトな街をつくる」といった具体性のある計画が必要だろう。それによりエネルギー消費も食の生産や商業活動も高効率化し、地方の持続可能性が高まる。私の仕事と役割は、欠陥住宅や災害に被災する状況に陥らないように、事前に回避策を提示することに全力を捧げている。

東広島市福富町のダム建設によって沈んだ集落が集団移転した「湖畔の里」。高齢者が多いため、昔ながらの入母屋造りが並ぶ町並みは、地域に違和感なく溶け込み、地元の工務店・大工さんが建てることでお金も地域循環になっている。

「バッファゾーン」として広島で最も象徴的な景観が平和大通り。元々は戦時の延焼防止のための”防火帯”として家屋を取り壊し移転させ、火災から市民を守ったバッファゾーンが広島の都市景観をつくっている。
●関連情報:コラム173話『災害復興は、自立するコミュニティづくりから』
ダブルスネットワーク株式会社 代表取締役 若本 修治(中小企業診断士)


