2020.8.10 Vol.15_No.22
広島の団地シリーズ-Vol.03_佐伯区五月が丘団地
■五月が丘団地の変遷
佐伯区にある五月が丘団地は、広島中心部である紙屋町から北西に約6キロ離れた己斐峠を越えた場所に位置します。
団地シリーズ第1弾でご紹介した己斐の団地群と大茶臼山一つ隔てた位置になります。大茶臼山の山頂から五月が丘団地を眺められます。
1972年(S47)3月造成が開始、1974年(S49)12月一般売出しが開始され、五月が丘1丁目から5丁目までの団地が完成したのは1984年(S59)です。当時は佐伯郡五日市町に属していましたが、1985年に佐伯郡五日市町地域は広島市に統合され佐伯区となります。
小学校は1977年に五日市町立五月が丘小学校が設立され、その後、広島市との合併により、広島市立五月が丘小学校となります。
中学校は1982年に五日市町立五月が丘中学校が設立され、小学校と同じく、その後、広島市立五月が丘中学校となります。元広島カープ選手の新井貴浩選手は同中学校の卒業生です。
■人口・世帯数の変化
広島市の人口・世帯別データには佐伯区は1985年(S60)6月末の資料から登場します。
人口は1990年をピークに減少しています。対照的に、世帯数は増加しています。
古い団地によくある傾向で、造成当時の1区画を2~3区画に分けて販売するようになったため世帯数は増えますが、1世帯の家族数は少ないため、人口は減少していく一方です。
1972年入居開始時に購入された所有者層は子育て世代の20代から30代前半でしたが、約40年後の2010年には65才以上になっており高齢人口がどんどん増加しているのが分かります。2020年になると、高齢人口が人口の3分の1以上の37.6%となっています。
世帯人員別世帯数をみても2020年3月時点で1~2人家族の世帯数は66.7%になります。
ただ、世帯数は増加傾向にあり、若年人口も微増していますので、子育て世代が増えてきているのが分かります。
■世帯数増加の要因
団地ができた当時、周りは何も無く、陸の孤島のように交通手段がとても限られていました。
ですが、アジア大会開催にあたって広域公園が出来、1982年にはアストラムラインの運行が始まり、広島修道大学の正門がある『広域公園駅』は、団地入口交差点からは徒歩約15分の終着駅です。延伸が決定し団地内に2つの新駅ができる予定ですが、詳しくは後段でご紹介します。
西区にあった免許センターが佐伯区に移転したことで、五月が丘団地経由の免許センター行のバスも運行されるようになり、交通がより一層便利になりました。
高齢化が深刻になっていく最中の2013年、団地ができた当時からあった団地内唯一のスーパーが突如閉店した時は徒歩圏内で生活している高齢者にとって死活問題でしたが、現在は新たなスーパーも出来、近くにアウトレットが出来たことで、生活の利便性も増しました。
アストラムライン延伸が2030年前後の運行を目指して決定しました。
現在終点の広域公園前から団地内に駅が2つ、ジ・アウトレット広島、己斐団地を通過して西広島駅でJR山陽本線、広島電鉄に繋がります。
団地内の高齢化は加速していますが、団地内の世代交代に加え、交通、生活の利便性が増し、世帯数も増加していると推測します。
土地を検討する場合、価格や立地などに加え、周りの環境もとても重要なポイントになります。
ですが、生活環境の一つである店舗や施設が時と共に無くなっていく可能性もあります。反対に、活性化していく可能性もあります。
車がないと不便な団地が、車のいらない団地=高齢になっても安心して暮らせる団地になると土地購入を検討するにあたって大きなポイントになりますね。
※参考事例
団地内で弊社サービスを利用して2世帯住宅を建てられたお客様がいらっしゃいます。
核家族が主流となり、2~3区画と分けられる中、敷地はそのままに3世代が暮らせる家が実現しました。
並列で7台分の車を停めるスペースを確保できる充分な敷地面積があることが分かります。
以下は、建替え前の写真と建て替え後の写真になります。