2021.3.10 Vol.15_No.25
広島の団地シリーズ-Vol.06_広島市の開発事業で造成された団地
■広島市が造った団地
広島市が昭和33年(1958年)に「大広島計画」の基本構想の一つとして位置づけられた西部開発事業によって造成された対照的な団地があります。一つは西区鈴が峰住宅団地で、広島市中心部である紙屋町から西へ約7キロ離れた鈴が峰山麓の傾斜地に造成された団地です。
鈴が峰住宅団地は、西部開発事業の一環で約324haの臨海部(庚午、草津、井口地区)の土地を埋め立てするために土砂を採取して造成された団地です。昭和39年(1964年)から土砂の採取が始まり、昭和52年(1977年)に入居が始まりました。広島市内の団地では珍しく、戸建住宅だけではなく、市営住宅、UR賃貸住宅などのアパートも建ち並ぶ戸建て住宅と共同住宅が混在する団地になります。
町名は鈴が峰町で、小学校は鈴が峰小学校区、中学校は井口台中学校区になります。
もう一つの団地は、鈴が峰山から土砂を運搬して海を埋め立てた埋立地に造成された西部臨海地区(商工センター)の団地になります。この開発事業で建築された郊外型ショッピングセンターの先駆け的存在である大型商業施設「アルパーク」の周辺の団地です。
町名は井口明神、草津新町、商工センターなど、小学校は井口明神小学校区、中学校は井口中学校区になります。
どちらの団地もJR(山陽本線)や市内電車(広電宮島線)での往来もできますが、広島市街中心部よりバスの往来もあり、利便性があります。
井口明神には昔海であった名残があります。
西部埋立第2公園内の池に佇む小己斐島(こごいじま)という岩礁です。
小己斐島があった井口の海岸は、厳島神社造営の際に宮島への木材を運ぶために船が出入りしていた場所といわれており、明治時代まで景勝地として親しまれておりました。辺りは埋め立てられましたが、小己斐島は池の中の孤島として今でもあります。池の中の水は、海水と同じように引いたり満ちたりするそうです。
(上の写真の赤い丸印が小己斐島)
■対照的な二つの団地
とても対照的な部分として、鈴が峰団地は削られた山の麓に位置しており、最寄り駅であるJR新井口駅や広島電鉄商工センター電停より徒歩圏内にある高台になります。一方西部臨海地区の団地は埋め立てられた海沿いに位置しており、最寄り駅からは徒歩圏内の平地になります。
また鈴が峰団地は切土になり、西部臨海地区の団地は盛土になります。
上の図のように、鈴が峰団地は「土砂災害警戒区域」となっており、西部臨海地区の団地は「河川浸水想定内の区域」となります。
土砂災害警戒区域は大雨などで地盤が崩れた山からの土砂が流れ込んでくる危険性があり、河川浸水想定内の区域は大雨などで河川が氾濫して水が流れ込んでくる危険性があります。
■高台にある団地の限界
人口・世帯数で比較してみると、面白い事がわかります。
下の表を見ると高台の鈴が峰団地は明らかに人口・世帯数共に減少傾向です。いっぽう平地に位置している西部臨海地区の団地は、減少したり増加したりを繰り返しています。
西部臨海地区の団地では、平地であり移動がしやすく近隣に商業施設もある事から、多少土地の価格が高くても固定資産税などの維持費がかかっても購入意欲は高く世代交代が繰り返されています。
もう一方の鈴が峰団地は、新興団地の時に入居した世代からの世代交代が進まずに人口が減少しているのが分かります。土地の価格も下がっており購入しやすい価格になってはいますが、利便性、老後の生活、資産価値を考えて選択肢から外れる傾向にあります。またずっと住んでいた方も老後の生活を考えて離れていく方もいます。これは高台にある団地の特徴であり課題と言えます。
土地選びは条件もとても重要ですが、実際にその地に行ってみて雰囲気、騒音、感じを体感するのもとても重要です。今回写真を撮りに鈴が峰団地の中を初めて歩きましたが、私個人の感想はとてもいい気持ちでした。
平地でも高台でもそれぞれにメリット、デメリット、リスクはありますので、しっかり調べて自身で納得できる土地選びをしていきましょう。
今回は広島市の事業で同じ時期に造られた団地で比較してみました。