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若本修治の住宅コラム

2013.4.20 第83話

富士山の「世界遺産」登録と、『武家の古都・鎌倉』の見送り勧告

今年、日本政府が世界遺産登録に推薦していた『富士山』と『武家の古都・鎌倉』は、イコモスによる評価がなされ、富士山のみ登録を勧告された。鎌倉は「登録しないように勧告」つまり、世界遺産という「人類の共有の資産」として、将来に残す価値が認められなかったということだ。

私自身も数年前、徒歩で数時間かけて鎌倉の街を散策してみた。左上の画像はJR横須賀線沿いで『歴史的風土寿福寺特別保存地区 神奈川県』という標識が立っている場所から、鎌倉の街並みを写したもの。標識の脇がゴミ収集場になっていて、地域の住民がポリ袋のまま無造作にゴミを出しているのも見られる。錆びたガードレールやオレンジ色のカーブミラー、角に立っている電柱など、地域が景観に配慮している様子は見られない。周辺の住宅もメーカーの違うプレハブ住宅が混在し、電車で訪れる外国人の眼に映る「窓越しの風景」も、期待に応えられるとは思えない。

もちろん、有名な名所・旧跡や、一部の街には風情を感じさせる景色は残るものの、古い街並みが残る地方の人たちにとってさえ、ノスタルジーを感じるような景観はわずかしか見られない。地方都市で、開発から取り残された町のほうが、よほど昔の面影が残され、外国人がイメージする『日本の原風景』を感じられるかも知れない。一体、この街の行政や市民の誰が、この景観を人類の遺産として将来に残したいと努力し、厳格なルール、ガイドラインを設けようとしているのか?期待して何時間も歩き回った私が一番落胆し「現代人の手によって醜くなってしまった街」としか感じられなかったのが残念だった。

 

地域の人が普段暮らす街並みが心に残る

 

旅行をして「美しいと感じる景観」は、特定の名所や旧跡だけではなく、移動途中に目に入る、その地域の人々の暮らす街並みが、旅行者の心に大きな影響を与えることを私たち住宅業界で仕事をするプロはもっと深刻に感じなければならないだろう。過去の「特定の権力者」が金にものを言わせてつくった建造物ではなく、その地域の気候風土や伝統文化、その景観を後世に残そうとする「地域の人々の美意識」が、街並みに調和をもたらせ、他の地域から来た旅行者が、いつまでもこの景観を見たいと感じさせるのが、世界遺産にふさわしい景観ではないだろうか?

建て替えで、地元の人でさえプレハブ住宅を選んでしまうような街並みが、旅行者の心に残る街になり得るはずがない。そこには景観を残そうとする「マスタープラン」も、具体的なルールを決めた「アーキテクチュラル・ガイドライン」も感じさせずただ『景観条例』があるだけだ。地域の人たちにとって「足枷」としか感じていないようであれば、鎌倉に限らず早晩、その街は魅力を失っていくだろう。

日本の「世界遺産登録」の申請を見ていると、地域の人たちが、本当にその景観を愛してやまず、誇りを持ち、人類共有の遺産として守り、後世に残して行こうとはあまり感じられない。むしろ地域へ観光客を呼び込む『観光名所』として誘致合戦を繰り広げ、その活動費は「将来の経済波及効果」として算盤をはじいているようにしか思えない。それは、NHKの大河ドラマの誘致合戦と基本的に変わらず、大河ドラマよりも「効果が持続」し、「海外からも観光客を誘引できる」という『目先の経済効果』が、周辺地域の景観や歴史・文化を守ることに優先されてしまう。

一方、世界では、築後百年前後の『現代建築』が世界文化遺産にも登録されている。岐阜と富山の県境にまたがる『白川郷・五箇山合掌造り集落』も、普通の人たちが暮らす、現役で利用されている住宅が、文化的価値を認められ、百年を超えた未来に経済効果をもたらせているのだ。

個人の住宅の塀や門扉も、コンクリートブロックやアルミフェンス、プラスチック製の竹など、自治体が情緒ある景観をつくろうという意欲は感じられず、立札だけが目立っている場所にいくつも遭遇した。

古都鎌倉を歩いてみても、一部の名所旧跡以外は、写真に撮ってもどこの都市か分からない、日本国中同じ景色に見える。
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