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若本修治の住宅コラム

2016.5.20 第120話

自然災害に見る「建物の敷地」と「建物の形状」。

今年もまた大きな自然災害が発生した。火山の噴火はあるものの、地震に対してはほとんど無防備に近かった熊本と大分での未曾有の震災だ。震源地の熊本県益城町では、かつて記録されたことのない「震度7の前震と本震」という、二度の大きな揺れが襲い、2000年以降の新しい耐震基準で施工された建物も、倒壊や大規模損壊の被害が出ている。被災した地域の方々には心よりお見舞い申し上げるとともに、住宅業界の責任の大きさも感じざるを得ない。

 

熊本地震発生からおよそ二週間後、ゴールデンウィークがスタートした5月1日に、私も大分県日田市から阿蘇地方に入ってみた。途中の国道は落石等で通行止めの箇所がいくつもあり、災害派遣の自衛隊車両や、他県の県警の応援部隊など、数多くの復旧支援が駆けつけていた。しかし、一方で阿蘇山のカルデラ内にある阿蘇市内や高森町、南阿蘇村などを車で走ってみても、それほど建物外観に大きな被害の跡は見えず、屋根瓦がずれて棟の一部だけシートで覆っている家が時々目に入る程度だった。

 

住宅建築に適した敷地とは

 

左の画像は2年前、広島市で発生した大規模土砂災害の被災地近くに建っている住宅。JR可部線まで土砂が押し寄せていたので、この建物の場所も道路や水路は土砂で埋まっていたと想像される。幸い押し寄せた土砂は数十センチで済んだため、建物が押し流されることはなかったものの、この道路と水路に挟まれた狭い敷地に、「人が生活を営む住宅を建ててしまう」という日本の建築業者が、自然災害を住民への被害まで広げている遠因になってしまっているような気がしてならない。熊本のような大きな地震が起こると、左右方向の耐力壁が足りないことは明らかだ。

 

熊本の震災でも、業界紙のレポートを見ると、1970年代後半に開発され、建替えが発生して2010年代の建築まである益城町の新興住宅地で、ある街区の57棟の実地調査の結果として興味深いレポートを掲載していた。測量会社の航空写真と照らし合わせ、前震で倒壊した建物と、2日後の本震で倒壊した建物、そしてその後の「応急危険判定」の結果を地図上にプロットして、建物の建築時期も明らかにしていた。そのイラストを見ると、被害の状況は築年数や耐震等級などではなく、どの場所に建てられた家かで被害の大きさの相関関係が確認できた。ある道路に面して並ぶ家は、2000年以降に建てられた家でも前震で倒壊し、隣筋の道路に面する家は、1980年前後の建物でも倒壊せず、応急危険判定も「要注意」で済んでいる建物が数多くあった。これは「築年数」や「構造等級」よりも、むしろ“地盤に起因する”建物被害といってもいいほどだ。つまり、活断層は無論のこと、湿地や水田など、従来住宅に適していない軟弱な土地や、山を削り取って不安定にした地盤を宅地として加工・販売したことが、人の命や財産を奪ったと言っても過言ではない。

 

一方、一般的には長年にわたって「しっかりとした場所」だと確認された敷地に建てられる社寺仏閣でも、阿蘇神社の大楼門は倒壊した。私も実際にその場所に足を運んだが、最も驚いたのは、境内の駐車場の脇に建つ老朽化した簡易な建物も、駐車場の境界に立てられた古いブロック塀さえも、見た目に何の変化もなく、周辺の建物、構造物も被災した状況を感じなかったことだ。社寺建築の太い柱や梁、宮大工の技術が、ブロック塀よりも脆かったのが現実だ。

 

このことは、大楼門の倒壊の原因が、地盤や構造・技術よりもむしろ「屋根の重さ」や「重心の高さ」という、建物荷重のアンバランスにあったのだろう。しかしこの被災を受け、国の耐震基準はどこに向かうのだろうか・・・?

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