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若本修治の住宅コラム

2017.1.20 第128話

産業廃棄物になる建物と、残したくなる建物

日本では戦後長らく建物の『スクラップ&ビルド』が続き、新しい技術で建てられた住宅も、20~30年もすれば陳腐化して価値は失われ、持ち主の移転とともに解体を余儀なくされている。空き家が全国で800万戸を超え、国交省が中古住宅流通に力を入れようとも、インスペクションによって耐震性能や断熱性能が高まろうとも、魅力のない建物に、高額なリモデリング投資をしてまで住みたいと思う人たちはそれほど多くない。それだけの費用を負担するのであれば、新築に住みたいというのが日本の現状だ。

 

特に、バブル崩壊後も住宅用の土地は一般庶民にはまだ高根の花で、相続や住み替えで所有者が移転するたびに、都市部の土地は細分化されてきた。そして余裕のない敷地に無理やり新築住宅が押し込まれ、住環境は悪化するばかり。住宅展示場で夢は売っているものの、モデルハウスのように100坪を超える土地に70坪を超える住宅を建てられるような立地条件も、1億円を超えるような住宅費を負担できる顧客もいない状態が続いている。にも拘わらず「長期優良住宅」「ゼロエネルギー住宅」といった、高性能を謳い文句に、将来産業廃棄物になるような住宅を高額販売しているのが、日本の大手住宅メーカーの実態だ。

 

このような状況で、人口減少や収入増加が見込めない日本の戸建てマーケットに見切りをつけ、住宅展示場のターゲットは富裕層だけで、海外進出と賃貸住宅の土地活用に活路を見出そうとしているプレハブメーカーが増えている。地域の歴史や文化を担い、街並みや風景を残していこうという発想を持った大手住宅メーカーは皆無に等しい。だからこそ、地域密着型の工務店は、性能の差別化等に活路を見出すのではなく、歴史や文化の担い手として、新しい地域の景色を創っていく気概が欲しいところだ。

 

左上の画像は、先頃訪れた神戸の北野異人館街のスナップ写真。明治の開港以降、外国人居留地として開発され、この山手地区に戦前まで2百棟あまりの洋館が建てられた。第二次世界大戦による空襲を受け、戦災を免れた一帯も、高度成長以降、次第にスクラップ&ビルドでビルやマンションに建て替わっていき、景観が壊されてきた。同様に戦災で街が破壊されたドイツの小都市が、戦前の美しかった街並みを再現し、観光地として多くのキャッシュを稼ぎ、数多くの雇用を生んでいるのとは対照的だ。それでもまだ、横浜や神戸は異国情緒が残り、今は異人館や洋館を保存しようと周辺環境も整備が進んできた。

 

実際に、築後数十年経った建物を、人々が「産業廃棄物」としてお金を負担してでも除去したくなる建物と、維持・メンテナンスに費用が掛かっても「残したいと思う建物」の違いは、性能でも築年数でもない。やはりそれは、歴史や文化を感じさせるような「デザイン」が大きな要素を占めているように思う。しかし決して現代の日本の若手建築家が設計するような「流行のデザイン」や「奇抜なフォルム」ではなく、長年風雪に耐えてきた建物をいとおしく思うような『ノスタルジーを感じさせる』ようなデザインだ。

 

平面的に見れば、シンプルでスクエアな間取りで外皮面積は最小化されている建物が多い。それでいて単調ではなく、窓周りや破風など、様々な装飾が施され、細部にまで設計者が神経を注いでいることが感じられる。その建物の存在がまわりの景観も際立たせ、近所の人たちにとっても「我が街のシンボル」として歓迎されるような家が、地元の人にとっても将来に亘って残したいと思う家なのだろう。

それは決して「建物単体」では実現できず、ロケーションやランドスケープなど、周辺環境も含めての景観づくりが欠かせない。だから、現在のような相続や所有権移転ごとに繰り返される「土地の細分化」に住宅地の未来はない。

神戸北野の異人館は、平面的には単純な四角い形状なのに、屋根の勾配や外回りの装飾によって、美しいプロポーションになっている
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