2020.1.20 第163話
【連載】未来の賢い家づくりとは ~第3回~
前回では、英国の地主が100年以上に亘って土地経営を行い、地主のみならず住む人たちの資産形成や良好な街並みの形成、住環境の向上に繋がった『リースホールド』を紹介しました。日本では「定期借地」という言葉に翻訳され、50年間土地を貸したのちに、更地で返還されるという“独自の解釈“がなされてきました。ここに大きなボタンのかけ違いがあって、お互い資産形成に至らなかったのです。
■英国の地主の資産形成と所有地の景観
英国では、放牧地や農地、荒地を含めて、所有している土地から地主自身が「より高い収益を得る」ために、産業革命で人口が増加する都市の近郊で、旺盛な宅地の需要に応えて自らの所有地を「借地」として提供しました。さらに需要が高まる気配のなかで土地を売却すれば、将来得られる利益を放棄するも同然です。しかし自ら宅地を造成し賃貸住宅を建てるのは大きなお金が必要で、投資回収まで長い時間を要します。だから未加工の土地だけ提供し、その土地を利用したい人に、宅地造成や建築費も負担させたのです。自らお金を出す必要はなく、長期に亘って安定的に、しかも家族の労働力を提供せずに収益が続きます。
一方で土地を持たない人たちは、造成や住宅建築という“土地の加工費用”を負担すれば、契約期間中は土地を利用する権利が得られ、建物は自分のものです。しかし土地自体は自分のものではないので、自由気ままに好みの家を建てることは出来ません。地主が指名する建築家が、富裕層である地主の好みを反映させて周辺環境の魅力を高め、その土地自体も資産価値が上昇するような景観を重視した設計を行いました。それを承諾する人のみが、その土地を利用する権利が得られるから、そのような人たちが住む街は、当然のように“憧れの街”に熟成していき地代も上昇、建物自体も高い金額で売買されます。
人口の増加や所得の上昇、住宅地の拡大による不動産価値の上昇は、地主はもとより土地を借りた入居者たちにも「資産形成の果実」をもたらせました。美しい景観で出来上がった魅力的な街を50年間で更地にし、また新たに建設投資をするという発想は英国人にはありません。アヘン戦争でイギリス領となり、その後99年間の租借の後、中国に返還された香港も、更地で返還しないのと同じ理屈です。それまでに投資された建築物やインフラは、返還までしっかりと維持・管理され、資産価値を高めて返されるというのが英国では常識です。
■借家経営で資産を失った戦後日本の地主たち
日本でも戦前は多くの人たちが地主から土地を借り、長屋に多数の家族が住んでいました。建物を所有している人はわずかで、ほとんどが借家や借地です。戦争によって一家の主が召集され戦地に送られていくと、家賃の滞りなどが生じ、地主や家主は残された家族を追い出すという状況が急増、戦地での士気の低下、心配の増加となりました。そこで賃貸契約の解除には厳しい制約が設けられたのです。
戦後もそのままその法律が残り「正当事由がなければ、賃貸借契約を解除できない」という日本独特の契約により、地主が弱い立場に立たされます。その後の経済成長により、不動産の価値が上昇しても、他人に貸している土地や建物は返してもらえず、莫大な補償金・引っ越し費用などを支払わなければ退去してもらえないという状態が続きました。地価の上昇分の恩恵を受けたのは、借りた側の賃借人で、多くの地主は相続の度に資産を失っていったのです。
■逆転した「土地神話」
その状態を解消するため、平成4年『借地借家法』が改正され、賃貸借契約の期限がある「定期借地」と「定期借家」が創設されました。期限が終わったら退去するという“当たり前”の契約です。しかし半世紀も先祖代々の土地や建物が、賃借人に占領され、不動産価値の上昇が自らの資産形成に繋がらなかった日本の地主は、先代から「他人に貸したら財産は戻ってこない」と厳しく戒められました。結果、土地神話とは逆の固定観念、恐怖によって「土地も建物も自分たちが所有する」という現在の土地活用を誰も疑わなくなったのです。さらに“相続税負担の重税感”と、日本の“土地担保至上主義“の金融システムによって、借金をしてまで賃貸アパートを建てる地主が後を絶ちません。しかも、あまり長期で住まずに退去が容易なほうが安心で儲かるため、狭い床面積で住み心地の悪い賃貸住宅ばかりが供給されました。資産形成とは逆方向に進んだのです。
ダブルスネットワーク株式会社 代表取締役 若本 修治(中小企業診断士)